有効需要と無効需要の違いとは何か
実効のない無効な需要を創出するための各種の投資を、直ちに止めるというたったそれだけのことで、経済を低迷させていた主要な原因、即ち損失を温存する粗末な経過は、それ以降消えてなくなり、それが富を大きく引き寄せる経過を導くようになる。無駄な投資となっている代表的事例となった環境投資は、有効需要の創出に失敗し続け、結果として世界中をデフレ経済へと巻き込み、京都議定書からパリ協定へと、規制の対象を改めさせた。97年暮れのCOP3では、CO2の排出量削減目標を6%としたのだったが、その効果は実際のところまったくなく、340ppmだった大気中濃度を、400ppm超へと60ppm以上も押し上げただけだった。そこで削減目標を100%とするパリ協定が策定され、今世紀末を目途とする、罰則のない環境規制対策が急遽導入されたのだった。 温室っ効果ガスの最大の排出源、となっている交流高圧送電には手を付けず、電気自動車の普遍的統一化が一部の国で図られた。フランス、イギリス、中国などが相次いで、内燃機関の放逐を宣言する事態となった。移動体の電気化という世界規模の改変は、二次電池の需要を高めて更新需要を拡大し、エネルギーコストを却って高いものにする。コスト面で相対化が進むと、内燃機関の優越性が再評価され、パリ協定の実現達成をより困難にするだろう。リチウムも地下資源であることから、その獲得コストが高まれば、価格競争力はたちまち消え失せる。地下資源に依存するあらゆるエネルギーモデルは、経済条件に於いて劣勢となることを強いられる。二次電源を必要とする電力供給系は、その殻を打ち破ることが要するにできない。パリ協定が成立するとしないとに関わらず、気候変動要因となっている総てのことは、最終的に壁にぶち当たって飽和する。気候変動を抑制するという指針だけでは、要するに限界が付きまとって離れない、ということなのである。 地下資源の大量消費を前提としない、環境型電源の開発が遅れれば、自然災害の脅威は一方的に増加する。電気によって進化を遂げてきたこの文明社会は、電気の不在が俄かに生じたとき、おそらく短期間で滅亡する。電気がない社会では、生活は原始化して争い事をただ増やす。炭素系資源の大量消費は、温室効果ガスの大量生産へと結びつき、水素系資源の大量消費は、惑星の持つ水の絶対量を、一方的にひたすら増やし続ける。二酸化炭素は紫外線で容易に分解するが、水を構成する化合物は安定性が高く、自然条件の下では決して分解することはない。このため地球は水の惑星となることができたのだったが、エネルギーを大量に消費する社会では、惑星全体を水没させる結果を最終的に齎す。炭化水素系地下資源では、炭素系酸素化合物CO2と、水素系酸素化合物H2Oとが同時生成することから、温暖化と海面上昇の同時進行が勢い早まる。島嶼国家群からの環境難民の短期的集中は、その前触れに相当する予兆に過ぎない。 環境投資で有効需要を作り出すことができていたのであれば、国際経済はインフレ基調で底堅く推移していた。それを止めてしまったのが、無駄な投資の継続による損失の増加と、それによる税収の低下という、共通に一般化したこの現状。先進諸国で課税強化が図られるようになり、若年層の失業率がその時から急速に高まった。財務体質を健全化しようとして、付加価値税が連続的に引き上げられ、消費市場に強い負圧がかかるようになっていた。これが世界規模のデフレ化を急がせた主因となり、国債の大量発行を急がせて、信用経済に対する不信の念を債権保有者一同に抱かせることとなり、デフォルトのドミノ化を恐れた、市場経済に強い負の圧力となって作用した。信用で成り立っている経済が行き詰れば、資本の移動がたちまち不可能になる。リーマンショックはその事実を、世界中に実例として教え諭した。基軸通貨の発行権をもつアメリカが、金本位制から一方的に離脱したとき、価値の裏付けが消えてなくなり、代わりに相互間の信用が担保となって、資本市場で活発に機能した。過度の与信行為が国債の流通価値を損ない、相互不信に陥った事例が発生した時、債務不履行が資本を供与した勢力に逆作用する。その意味でリーマンショックは、国際経済を壊滅させるに足る、その十分な潜在力を秘めていた、ということになったのである。 実効を引き出せずにいる投資の総ては、有効需要の創出を失敗に終わらせる。そこで生じた損失のすべてが、市場経済を不安定化させる原因となり、デフレ経済を共通分母とする枠組みを、世界各地で構築する、という粗末な経過を呼び込んだ。有効需要を生み出せなかった環境投資が、低迷する国際経済のそもそもの生みの親。有効需要の掘り起こしができていたのであれば、再生可能エネルギーは経済を牽引する、その力強い動力源となっていなければならず、環境負荷はそれにより消滅し、エネルギーコストは最低水準へと低下していた。文明の復興と再生は、エネルギーコストを引き下げた国のみが、指導する立場を得ることを許され、電源開発に失敗したそれ以外のすべての国家に、有効需要を失わせて損失を増やし続けることにより、追随する立場に甘んじる身分を強要する。文明の大転換期には、思いもよらない大きな変化が、その方向性を定める因子となって作用する。その役割こそ唯一の被爆体験国となった、日本に与えられた究極の使命なのである。教育投資を無駄にしているような有り様では、その壮大な任務を任せられる筈がない。あらゆる地下資源を放棄する新電源の登場は、既にプログラムに主要な項目として、予め書き込まれている。転機が訪れたその時、大きな産声をあげることだろう。