問題認識能力の欠陥は文明存続の危機を呼ぶ
直流と交流の違いを弁えず電流として同一のものと見做す悪弊が、世界中のあらゆる地域で温暖化を止めるための有効な方法を見失わせていた。その錯誤を生んだそもそもの発端は太陽電池を設置すれば交流電源の供給元である、火力発電所の稼働率を引き下げられるという余りにも独善的で錯誤に満ちた、誤った理解とそれが導いた偏った不正な思い込み、の身勝手な解釈の独走を放任してきたという一連の経過が温暖化を止めるために有効だ、とするこれまでの安易な姿勢を世に定着させてきたのである。 再生可能エネルギーである太陽電池が、火力発電所にかかっている重い負担を大きく減らす、などということはあり得ないハナシであった。直流電源が送電系統の外部で増えたとしても、交流電源となっている火力発電所が燃やしている化石燃料の消費量が同じ割合で減る、とする国の理解は決して正しいものではない。交流電流には周波数という成分が、欠くべからざる要素として関わっているのだが、直流にはそれがまったくないという大きな違いが厳として存在する。 交流電流を供給する電力会社が保有している送配電系統の外部で、直流電源がどれほど増えることがあったにせよ、火力発電所は地下資源の燃焼量を減らすことが、そもそもまったくできなくなっていた。交流成分である周波数を成り立たせているのは、発電装置を構成するタービン翼と、それに連動する回転軸の運動量の維持であることから、温暖化を防止するためには、回転運動を減らすことができていなければならない。このことは化石燃料の消費を減らすためには、蒸気圧を低下させることにならざるを得ず、回転運動を減少させる必要が別途生じることとなるのだ。 毎分3000回転する交流電源は、毎秒50回切り替わる二種類の異なった磁極をもち、それが生む磁束線と導体とが互いに90度の角度を保って、安定的に交差する関係であることが必要な条件となる。この円運動量が低下すると、交流周波数も連動して低下する。このため商用電源の電力品位は、その時著しく劣化するようになる。 乱れた周波数は電圧振動を誘発するだけでなく、周波数変動をも惹起して使い物にならない電力を大量生産するようになる。このため電力会社では周波数を常に一定に保つ、ということが国からの義務となっている。このため環境的に優れた外部電源を大量に設置したとしても、地下資源の燃焼量を減らすことが、案に相違して、まったくできなくなってしまったのだった。 直流電流には周波数がないため、電圧変動のない平坦で安定した電力を、負荷が要求するその分だけ、正確に誘導することができるようになっている。交流電流には周波数が欠かせない要素となっていることから、電圧変動を頻繁に引き起こしているということなのだ。このため直流化するための整流素子が複数必要となっいて、電圧振動の波を平滑化するための素子、即ちコンデンサが電気製品内部の直流回路には、数多く散りばめられることとなっていた。 整流素子を用いて直流化しなければ、電気回路を形成することは即ち不可能。節電が有効となるための条件は、直流回路に限定される、ということなのである。交流は相異なったベクトルをもつ、二つの電流が併存することで成り立っている。このことから、回路を形成することが本質的にできない。電流を成り立たせるための方便として、送電端の一方を最低の電位である大地、つまりゼロボルトに接続しておかなければならない、という条件に常時縛り付けられている。電流を誘導するためには、電位差が予め儲けられていなければならず、また電力消費の場に於いては、負荷の発生がその基本的な誘導条件となっている。 発電所では発電機の回転運動を安定化させおかなければならず、電気エネルギー取り出して利用するためには、負荷を発生させる行為であるスイッチオンというその状態が、消費電流を誘導するきっかけとなる。この事実は消費者による節電行為が、二酸化炭素の抑制にまったく寄与していない、という結果によく反映されている。交流電流と直流電流との違いを弁別してこなかった、という過去の事実が止まらない温暖化を遅れて確定させたのであり、京都議定書をパリ協定へとシフトさせたその理由ともなったのだった。 太陽光発電をどれほど大量に増設したところで、周波数の維持を義務付けられている電力業界は、世界中で共に温室効果ガスである二酸化炭素と、水蒸気とを着実に増産し続けている、ということしかできなくなっていたのである。電力会社の秘密主義の濫觴を辿れば、交流周波数へと難なく辿りつくのは決定事項。それができなくなっていたという事情の裏には、電力業界が陥った秘密主義、というこよなく堅いその姿勢が蟠踞して与っている。このため実効不在の再生可能エネルギーが生み出した損失を、消費者が一丸となって補填することにより、電力業界が蒙っている損失を消費者の懐が埋め戻す制度が横行するようになったのだった。 太陽光発電が送電ネットワークにとって、コスト圧力を低下させることに寄与していたのが事実なら、国民が太陽光付加金というおぞましい名目で、必要のない資金負担を強いられるようなことにはなっていなかった。交流電流に関する知識を持たない世界中の似非知識人たちが、よってたかって温暖化を止まらないよう仕向けたのであり、これまで投じられてきた環境投資の一切を、成果のない完全な無駄へと確定させた。デフレ経済の蔓延と止まらない温暖化という二つの深刻な課題は、知識階級の怠慢が生み落したものであるに相違ない。