傲 岸 無 知
交流送電は励磁電流がつくる磁場を共有する別の導体に、新たな電流を誘導発生させることで、長距離送電を円滑に成り立たせている。励磁電流は磁場変化を与えるための電流であることから、それが生み出した変化する磁場が、別の独立した導体に新しい電流を二次的に発生させ、誘導電流として負荷に対して供給するという仕組み。 誘導電流は負荷の発生または接地によって発生するもので、消費者が電気製品のスイッチをオンにしたときに、当該回路が求める電流だけを、正確に誘導発生させている。このため節電で電気製品のスイッチを切ったときでも、二次的に誘導されていた消費電流は、誘導される理由を失い、励磁電流だけを流し続けるという結果を生む。励磁電流を消さない限り、発電所で燃やしている化石燃料を減らすことはできず、従って温暖化を止める効果はまったく得られない、ということになっていた。これが実効なき温暖化対策が、いつまでも続いているその理由なのである。 送電系統は励磁電流が生む磁場変化と、その影響を受けて誘導電流を生み出す、トランスを送電系統に介在させることによって、電力輸送を滞りなく円滑に行っている。変圧器は電圧調整を共有磁場で行い、それを可能にするための磁場変化を通じ、交互に方向を正確に切り替えている。交流電流に備わるその特質が、変化する磁場を与える役割を、励磁電流と回路を流れる誘導電流とに、同時に与えているということなのである。 励磁電流が不在なら、誘導電流を派生させることはできない。励磁電流を最大化する目的で、接地することが不可欠な措置となったことから、そのために接地電流が、日常的に地の底へと間断なく落ちてゆく仕組みとなった。大地がゼロボルトであるということが、電位差を最大化しておくための役に立ち、それが共有磁場に置かれた別の導体に、誘導電流を最大にして発生さることになっている。 導体の長さを調節することで変圧が可能となるだけでなく、励磁電流に遜色のない量の、消費電流を誘導できるようになっている。磁場変化がトランスで維持されていなければ、どのような起電力もそこには生じない。磁場変化が保たれていればこそ、そこに置かれた別の独立した導体に、負荷の要求を満たす電流だけが正確に誘導される。負荷の発生が所定の電流を誘導するのに対し、接地は電位差を最大に保つことにより、励磁電流にかかる一切の抵抗を排し、励磁電流の潜在能力を最適にして顕在化する。送配電系統というものは、おしなべてこの繰り返しでできている。 単一の電源から生み出された交流電流は、源流部分で昇圧することによって、長距離送電を容易にするだけでなく、電力輸送の過程で生じる電気抵抗が生む損失を、小さくするという効果も同時に発揮する能力をもつ。変圧器が存在しなければ、電力輸送はそもそも不可能。電圧を下げようとして減圧すれば、電流は倍増し昇圧すれば電流は反対に減少する。電力とは電圧と抵抗の積であるからだ。 高圧送電のメリットは送電ロスが少なく、大電流を長距離輸送することが容易にできる、というその点に最大の特徴を有する。減圧プロセスで電流値は高められ、逆の昇圧プロセスでは電流値は低下する。電力は電流と電圧どちらか一方の増減が、他方の変化を自動的に引き起こす。減圧と昇圧を組み合わせることにより、励磁電流を接地させながら、誘導電流を新しく生み出すことが自在にできる。この方式が電力をあらゆる地域へと、過不足なく届けることを問題なく可能にした。 この方式を採用したということが、今では温室効果ガスの恒常的な発生源となっていて、消費者による節電や電機メーカーによる省エネ努力を無駄にものにしている。電流は止まっていることがそもそもできないものなので、常に移動し続けていなければならないので、止まっていることができなくなっていた。止まった電流というものは本来存在せず、それは静電気という帯電状態を意味していた。 この電流の移動というその形態こそが、磁場変化を与えるための基礎的な条件を満たす行為となっている。電流は進行方向に対して、時計回りに磁場を展開させている。これはアンペールの法則として、よく知られている古典的な認識となっている。移動する電流が磁場の変化を成り立たせ、励磁電流に対しても磁場の変化を与えているということなのだ。磁場を共有する別の導体(コイル)に、誘導電流が二次的に生じることを証明したのが、あのファラデーの電磁誘導の法則というものだった。 交流電流の長距離高圧送電へのシフトは、この電磁誘導の法則を利用することで、電力輸送を円滑に成り立たせること可能にした。世界の共通インフラが、交流で統一されるようになったのは、この誘導法則に準拠した発電の採用が、二酸化炭素の排出削減を却って不可能なものにした。消費者が電力消費をどれほど多く減らしたとしても、発電所では発電機の出力調整をすることがまったくできないからである。発電機の回転数が不安定化すると、それは周波数変動の原因となるだけでなく、電圧変動と電流変動とを、同時に生み出すものとなるからだ。 発電機を止めることができたとしても、燃焼炉の火を落とすことはできない。蒸気発電という形式は蒸気圧を常に一定の状態に、保ちつづけていることが絶対条件となっているものであるからだ。蒸気圧が不安定化すると、タービンの回転量を一定に保つことができなくなる。そこで政府は国民が電力消費を減らすと、発電で使った化石燃料の消費が減る、という法則を無視した論理を法律へと適用し、節電時間にある変数を乗じた値で、二酸化炭素の発生量を抑制した、ということを法律で正当化したのであった。文明はそれほど、錯誤と虚偽とで満ち溢れているものなのだ。発生している不具合の一切は、こうした経過の産物だったのである。 止まらない温暖化とは交流電流の成り立ちを知らない指導体制が、直流回路と交流電路とを混同したことによって、直流回路がそうなっているように、交流でも節電すれば電気エネルギーを温存できる、という錯誤させ再生可能エネルギーを導入すれば、化石燃料の消費がその分だけ減る、という勝手な解釈を独善的に導入したことで、太陽電池の設置量と同等の、CO2の削減が成就した、とすっかり思い込ませてきたという経過を残した。 世界中の指導者とその体制維持に関わっているすべての者が、交流電流を成り立たせている誘導法則の意味を、まったく理解することができていなかった、ということが京都議定書からパリ協定へと、国連の環境部会のスタンスを改めさせたと規定した。これがこれまでの実効なき温暖化対策と、それを生み出した止まらない温暖化とを、文明へと例外なく与えた経過の生みの親となったもの。問題の本質的欠陥に、これからも目を瞑って過したい、と思っているなら気候の変動は、時の経過とともに一層苛烈なものとなるばかり。