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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2022.03.24
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テーマ:憲法改正(89)
カテゴリ:憲法

【産經新聞案】

第26条(信教の自由、政教分離)

信教の自由は、何人に対しても、これを保障する。

2 いかなる宗教団体も、政治に介入し、または政治上の権力を行使してはならない。

3 国および地方自治体は、特定宗教の布教、宣伝のための宗教的活動および財政的支援を行ってはならない。

(『国民の憲法』(産經新聞社)、p. 229

 さらに次のような解説がある。

《政教分離について最高裁は政治や行政、宗教との関わりを全否定していないにもかかわらず原理主義的な厳格分離解釈が唱えられている現状に批判が相次ぎ、現実に沿った緩やかな規定とした(第26条)。首相の靖国神社参拝や玉串料などの儀礼的な公金支出を可能とする内容だ》(同、pp. 228-229

 さて私は、「政教分離」を謳っている時点で疑問符を打ちたい。一体どうして西洋とは歴史の異なる日本において、「政教分離」を言わねばならないのか。教会が絶対的権力を持ち、民衆を支配していた歴史と、衰退したとはいえ、今なお教会が一定の力を保持し続けている西洋だからこそ、「国家権力と教会権力の分離」を言わなければならないのであって、日本には関係のない話である。

 日本においても、明治維新以降、政治と宗教(神道)が手を組んで戦争へと突き進んだではないかと思う人も少なくないのかもしれない。が、<神道>にどれほどの権力があるというのか。教義すら存在しない<神道>にそのような力があるはずがないではないか。

 日本において危惧があるとすれば、「天皇の政治利用」の問題であろう。詰まり、「政治と天皇の分離」が必要だということである。歴史的にみれば、鎌倉以降、権威と権力が分離され、権威の存在たる天皇には権力はない。だから、例えば、天皇が政治の実権を手に入れて権力が集中するというような話ではない。が、天皇には「権威」がある。したがって、政治が天皇の「権威」を利用しようとする虞(おそれ)は拭(ぬぐ)えない。実際、明治以降敗戦までは富国強兵のため政治が天皇を利用したのである。それを明示したのが大日本帝国憲法であった。

 それどころか、戦後も平和国家樹立のため天皇が政治利用されていると私は思っている。そのことを明示しているのが日本国憲法である。日本国憲法は、一見天皇を縛るもののようにも思われるけれども、逆に一定の範囲で天皇を政治利用できるようにするための文書となってしまっている。詳しくは、稿を改めたいが、権力を持たぬ伝統的存在たる天皇を憲法で縛るというのはおかしいというのが私の考えである。






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Last updated  2022.03.24 21:00:09
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