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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2022.12.24
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カテゴリ:歴史

Professor Talcott Parsons once called science 'a selective system of cognitive orientations to reality'. It might perhaps have been put more simply. But history is, among other things, that. The historian is necessarily selective. The belief in a hard core of historical facts existing objectively and independently of the interpretation of the historian is a preposterous fallacy, but one which it is very hard to eradicate.

(タルコット・パーソンズ教授はかつて、科学を「現実に対する認知姿勢の選択的体系」と呼びました。おそらく、もっと簡単に表現できたでしょう。しかし、歴史とは、取り分け、そういうものです。歴史家は必然的に選択にうるさい。歴史家の解釈から独立して客観的に存在する歴史的事実の中核を信じることは、非常識な誤りですが、根絶するのは非常に困難なものです)― cf. 清水訳、p. 9

今日でも、古代史および中世史の魅力の1つは、私たちが使う一切の事実が手の届く範囲内にあるという錯覚を与えてくれるからではないでしょうか。つまり、知られている僅かの事実がすべて歴史上の事実であるところから、歴史上の事実と過去に関する他の事実との間の面倒な区別が消えてしまうためなのではないでしょうか。(E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)清水幾太郎訳、pp. 11f

 1つの歴史を学んだだけで過去(のある時期)のすべてが分かるわけではないし、分かるはずもない。たとえその歴史が多くの人々の賛同を得たとしても、あくまでも1つの視点から描かれた歴史でしかない。少し視点を変えるだけで、違った歴史風景が見えであろうことは想像に難くない。

As Bury, who had worked in both periods, said, 'the records of ancient and medieval history are starred with lacunae. '

(両時代を研究したベリーが言うように、「古代史と中世史の記録は、欠落だらけ」なのです)― cf. 清水訳、p. 12

 言うまでもなく、歴史は、過去の事実を網羅することは出来ない。逆に網羅すればするほど、大事な部分が全体に埋もれてしまう。だから、歴史家が大事な事実を取捨選択し、これらを元に歴史を編み、全体から浮かび上がらせて特別な光を当てるのである。が、それにしても、古代・中世史は大事な事実が抜け落ち過ぎているとベリーが言うのである。

歴史は、紛失した部分が沢山ある大規模なピクテュア・パズルと呼ばれて来ました。けれども、主たる悩みは脱漏(だつろう)にあるのではありません。私たちが知っている紀元前5世紀のギリシアの姿が不完全なのは、多くの事実が偶然によって失われたというのが主たる理由ではなく、むしろ、全体として、それが、アテナイ市の住民の中の本当に小さなグルーブによって形作られた姿であるという理由によるものであります。(カー、同、p. 12

 詰まり、過去の事実を選択するにあたって、歴史家が1つの視点に拘(こだわ)り過ぎたということである。

紀元前5世紀のギリシアがアテナイ市民にとってどう見えていたか、それは私たちはよく知っていますけれども、スパルタ人にとって、コリント人にとって、テーべ人にとって――ベルシア人のこと、奴隷のこと、アテナイの住民であっても市民でない人々のことまで持ち出そうとは思いませんが――どう見えていたかということになりますと、私たちは殆んど何も知らないのです。

私たちが知っている姿は、あらかじめ私たちのために選び出され決定されたものです、と申しましても、偶然によるというよりは、むしろ、意識的か否かは別として、ある特定の見解に染め上げられていた人たち、この見解を立証するような事実こそ保存する価値があると考えていた人たちによってのことであります。(同)






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Last updated  2022.12.24 21:00:09
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