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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2023.01.04
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カテゴリ:歴史

こういう〔コリンウッドの〕仮説に立ちますと、歴史上の事実は無で、解釈が一切だということになります。夙(つと)にニーチェはこの原則を言明いたしました。「われわれの考えでは、ある意見が間違っているというのは、何もこの意見に対する反駁(はんばく)にはならない。……問題は、それがいかに生命を励まし、生命を保存し、種族を保存し、更に種族を創造するかということである。」(E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)清水幾太郎訳、p. 35)

4. The falseness of an opinion is not for us any objection to it: it is here, perhaps, that our new language sounds most strangely. The question is, how far an opinion is life-furthering, life-preserving, species-preserving, perhaps species-rearing, and we are fundamentally inclined to maintain that the falsest opinions (to which the synthetic judgments a priori belong), are the most indispensable to us, that without a recognition of logical fictions, without a comparison of reality with the purely IMAGINED world of the absolute and immutable, without a constant counterfeiting of the world by means of numbers, man could not live — that the renunciation of false opinions would be a renunciation of life, a negation of life. TO RECOGNISE UNTRUTH AS A CONDITION OF LIFE; that is certainly to impugn the traditional ideas of value in a dangerous manner, and a philosophy which ventures to do so, has thereby alone placed itself beyond good and evil. -- Friedrich Nietzsche, Beyond Good and Evil
4. ある意見が偽りであるということは、我々にとって、それに対する異議申し立てではない。恐らくここが、我々の新しい言語が極めて奇妙に聞こえるところだろう。問題は、ある意見がどこまで生を促進し、生を維持し、種を維持し、恐らくは種を育むものであるかということであり、我々が基本的に主張したいのは、(先験的に構成された判断が属する)最も誤った意見が、我々にとって最も必要不可欠だということ、論理的な虚構を認識することなく、絶対的で不変的なものの純仮想世界と現実を比較することなく、数字によって世界を常に偽造することなく人間は生きられないということ、誤った意見を放棄することは、人生を放棄することであり、人生を否定することになるだろうということ、生の条件として不真理を認めること、それは、伝統的な価値観を危険な方法で非難することであり、敢えてそうしようとする哲学は、それだけで善悪を超えた存在になるということである)フリードリッヒ・ニーチェ「善悪の彼岸」

 「宗教は空想の産物である」というのは現在のパラダイムにおける話である。「空想」という言葉自体が、現在のパラダイムによって、否定的な意味合いを醸し出している。が、パラダイムを変更すれば、宗教は、人間の生にとっての必要だからこそ形成されたものであり、肯定的なものであったことは今更言うまでもない。現代科学は、宗教を否定する。が、現代科学は宗教を否定できるほど優越的存在なのか。人間の生という観点からすれば、宗教が主で、現代科学は従となってもなんら不思議ではない。

 科学的パラダイムにおいて、宗教は「偽り」であっても、精神世界から見れば、それは「絶対」であるということは何ら矛盾しない。大事なのは、どちらか一方に偏向しないことではないか。科学は進歩向上を続けばければならない。一方、人間の生には、そして、善く生きるためには、「絶対的存在」が希求されるということである。






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Last updated  2023.01.04 21:00:09
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