|
テーマ:歴史とは何か(135)
カテゴリ:歴史
英思想家・ホッブズは、「此の世に名前以外に普遍的なものは何もない」と言う。 Of Names, some are Proper, and singular to one onely thing; as Peter, John, This man, this Tree: and some are Common to many things; as Man, Horse, Tree; every of which though but one Name, is nevertheless the name of divers particular things; in respect of all which together, it is called an Universall; there being nothing in the world Universall but Names; for the things named, are every one of them Individuall and Singular. – Thomas Hobbes, Leviathan: Part I: Chapter IV (名前には、ピーター、ジョン、この男、この木のように、ただ1つのものに固有で、唯一のものもあり、男、馬、木のように、多くの物に共通なものもある。そのどれもみな、名前は1つだけであるけれども、それぞれ異なる固有の物の名前である。そのすべてについて、一纏(ひとまと)めに、普遍と呼ばれている。此の世に名前以外に普遍的なものは何もない。というのは、名付けられたものは、そのすべてが個別的であり、唯一のものだからである)― ホッブズ『リヴァイアサン』:第1部:第4章 きっと、これは自然科学にも当て嵌(は)まることで、地質学上の2つの地層にしろ、同じ種の2匹の動物にしろ、また、2つのアトムにしろ、それらが同じだということはありません。それと同様に、2つの歴史的事件が同じということはありません。(E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)清水幾太郎訳、p. 89) 私がカーライルの『フランス革命』を読みました時は、彼の意見を一般化して、ロシア革命に対する私自身の特殊な関心のままにこれを応用していることに幾度となく気がついたことがあります。一例を挙げますと、テロは、 「公平な裁きがあった国では恐ろしいことだが、それがなかった国ではそう不自然ではない。」(同、pp. 91f) 「この時代の歴史が一般にヒステリックな調子で書かれているのは、甚(はなは)だ自然なこととはいえ、不幸なことである。誇張、呪詛(じゅそ)、悲嘆が至るところに満ち、全体として暗いものである。」(同、p. 92) スイス歴史家・ブルクハルトは言う。 「新興国であればあるほど、静止していることが出来ないものである――というのは、第1に、この国を創立した人たちは急速な前進という癖がついてしまっているため、また、本来、この人たちは現在も将来も改革者であるためであり、第2に、この人たちが喚び起したり征服したりした諸力は、新しい暴力行為を通じてのみ発揮され得るからである。」(同) また、次は、マルクスの手紙の抜粋である。 「驚くほど似た事件が異なった歴史的環境のうちに起る場合、そこから全く似ても似つかぬ結果が生まれて来る。1つ1つの事件の発展を別々に研究し、その上でこれらを比較すれば、この現象を理解する鍵が容易に見出される。しかし、歴史の上に超然と立つのが最大の得意であるような歴史哲学の理論を合鍵に用いたのでは、決してこの理解に達することは出来ない。」(同、p. 93) 歴史は繰り返されると言われる。確かに似た出来事は繰り返されるわけであるが、厳密には、歴史は一回性のものである。歴史から教訓を学ぶことは出来るが、歴史によって未来を予見することは出来ないということである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.01.23 21:00:09
コメント(0) | コメントを書く
[歴史] カテゴリの最新記事
|