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テーマ:歴史とは何か(135)
カテゴリ:歴史
いかなる教訓も歴史から学ぶことは出来ない、なぜなら、科学と違って、歴史は将来を予言することが出来ないから、と言われております。この間題は、誤解の渦に巻き込まれています。(E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)清水幾太郎訳、pp. 97f) 誰がこのような極端なことを言うのだろう。「科学は将来を予言できる」と考えている「科学万能主義者」だろうか。 われわれの日常生活に関係のある謂(い)わゆる科学法則というのは、実は、傾向を言い現わしたもの、つまり、他の事情が同様であるという場合に、あるいは、実験室的条件において起るであろうことを言い現わしたものであります。それは、具体的な場合に何が起るかを予言しようというのではありません。引力の法則は、特定の林檎が地面に落ちて来ることを保証はしません。誰かがバスケットで受けとめるかも知れませんから。光は一直線に進む、という光学の法則は、特定の光線が或る邪魔物のために屈折したり散乱したりすることがないとまで保証するものではありません。しかし、これは、これらの法則が無価値であるとか、原理的に確実でないとかいうことを意味するものではありません。(同、p. 98) 例えば、南海トラフ巨大地震も、過去何度もこの地域で巨大地震が起こっており、「プレートテクトニクス理論」からすれば、将来またこのような地震が起こることは間違いないが、それがいつ起こるのかは神のみぞ知ることである。詰まり、特定の地震予知は出来ないということである。 現代の物理学は、事件発生の蓋然(がいぜん)性だけを取扱っている、と言われております。今日の科学は、論理上、帰納というのは、蓋然性とか、無理のない信仰とか、そういうものを生むに過ぎないと考える態度へだんだんと傾いて来ていますし、また、科学上の命題を一般的な規則や手引き――その妥当性は特殊的な行動によってしかテストされません――として扱おうとして来ています。コントが申しますように、「科学から予見が生まれ、予見から行動が生まれる」のです。 歴史における予言の問題を解く手がかりは、一般的なものと特殊的なもの、普遍的なものと個別的なものとのこうした関係のうちにあるのです。前にも申しましたように、歴史家は一般化せざるを得ないもので、一般化を行なうことを通じて、彼は、個々の予言ではないにしろ、将来の行動のための正当且(か)つ有効な一般的な指針を与えるのです。(同、pp. 98f) 歴史家は、別に、過去の具体的な出来事を一般化することを求められてはいない。個々人が歴史から教訓を汲み取ることはあっても、歴史家に予言めいたことを期待してはいない。「決定論」的な考え方は、1つの信仰でしかない。 けれども、歴史家は特殊的な事件を予言することは出来ません。なぜなら、特殊的なものは独自のものであるからであり、そこへは偶然の要素が入って来るからです。こういう区別は哲学者たちを悩ますでしょうが、普通の人間にとっては全く明白なことです。(同、p. 99) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.01.26 21:00:09
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