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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2023.01.27
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カテゴリ:歴史

来月、中央ヨーロッパの某国に革命が起るであろうという予言を人々は歴史家に期待してはおりません。歴史家が、半ばは某国の諸事件に関する個別的な知識から、半ばは歴史の研究から導き出すところの結論はといえば、某国の情勢は、誰かが手を触れるなら、または、政府側の誰かがそれをとめる手を打たないなら、近い将来に革命が起りそうな様子であるということであります。(E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)清水幾太郎訳、pp. 99f)

 カーは、このように、純粋な「予言」と「予言めいた事」を分けて論じているのであるが、私はいずれの場合も、歴史家が予言に関わることには反対である。予言できるとすれば、歴史家が過去および現在を知悉(ちしつ)していなければならない。詰まり、神の領域に属していなければ予言など出来ないということである。

 革命が起こりそうだなどという話は、その国の歴史を知らずとも、その国の現状を知っていれば誰でも言える話である。成程、革命が起こるかどうかにその国独自の歴史的要因が関わる部分もあるだろうが、それが決定的な要因ではない。文化的背景も大事であるし、国内における理不尽な政治的抑圧の有無、政府の過失による国や国民の経済的困窮の程度、社会的世論の高揚、といった様々な要因が複雑に絡(から)み合う中で事は起こるのである。

そして、この結論は見込みを伴なうもので、この見込みは、半ばは他の諸革命からの類推に基づき、また、国民の諸部分がとると思われる態度からの類推に基づいています。これを予言と呼び得るといたしますと、この予言は、それ自身としては予言のしようもない個別的事件の発生を通じてのみ実現され得るものであります。しかし、そう申しましても、未来に関する推論を歴史から引き出すのは価値のないことであるとか、こういう推論は、行動の手引きとして、また、私たちが事件を理解する鍵として役立つ条件づきの有効性を持っていないとか、そういう意味ではありません。(同、p. 100

not only do fundamental orientations, evaluations, and the content of ideas differ but that the manner of stating a problem, the sort of approach made, and even the categories in which experiences are subsumed, collected, and ordered vary according to the social position of the observer. -- K. Mannheim, Ideology and Utopia, III. 3.

(基本的方向性、評価、発想の内容が異なるだけでなく、問題の提起の仕方やアプローチの仕方、さらには経験を包含し、収集し、順序付ける範疇(はんちゅう)までもが、観察者の社会的立場によって異なる)― マンハイム『イデオロギーとユートピア』第3部 第3

歴史家の行うすべての観察の中へ、どうしても、歴史家の見方というものが入り込んできます。歴史家にはどこまでも相対性ということがついてまわります。(カー、同、p. 101






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Last updated  2023.01.27 21:00:08
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