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テーマ:歴史とは何か(135)
カテゴリ:歴史
社会科学者のすべての観察には必ず彼の偏見が入り込むというだけが真理なのではありません。もう1つの真理は、観察の手続が、観察されているものに影響を与え、変化を与えるという点にあります。これは相反する2つの仕方で起ることがあります。人間の行動が分析および予言の客体になっている場合、人間は、自分にとって好ましからぬ結果が予言されたことによってあらかじめ警戒するでしょうし、また、それによって自分の行動を変え、その予言――どんなに正しく分析に依拠していても――を外れさせようとするでしょう。(E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)清水幾太郎訳、pp. 101f) 「予言」として考慮に値するのはマルクスのものであろう。マルクスは、やがて資本主義は行き詰まり、革命を経て社会主義へと移行すると「予言」した。が、いつまで経(た)っても資本主義は行き詰まらないどころか、社会は豊かになっていった。業(ごう)を煮やした社会主義信奉者は、人為的に社会主義への移行を画策した。行き詰まったのは、皮肉にも資本主義ではなく、社会主義実験国家ソ連邦の方だった。 《予言者としての彼〔=マルクス〕の失敗の原因は、もっぱら歴史信仰の貧困そのもの、つまり、今日、歴史的傾向あるいは趨勢(すうせい)と見えるものが観察されるにしても、それが明日も同じように出現するかどうかを知りえはしないのだ、という単純な事実にある》(カール・ポパー『開かれた社会とその敵・第二部 予言の大潮 ヘーゲル、マルクスとその余波』(未来社)小河原誠・内田詔夫訳、p. 176) 《マルクスが多くの事柄を正当な光の下で見たことは承認されねばならない。無拘束の資本主義体制は、マルクスが承知していたように、長続きすることはないという彼の予言や、無拘束の資本主義が永遠に存続するであろうと考えていたその弁護者たちは誤っているのだという彼の予言を考えてみただけでも、彼は正しかったと言わざるをえない。 また、主として「階級闘争」、すなわち労働者の連合associationこそが、無拘束の資本主義を変革して新しい経済体制を実現するであろうと主張した点でも、彼は正しかった。 しかしながら、われわれは、マルクスが新しい体制、干渉主義を、社会主義という別の名称の下で予言したのだ、とまで言いきってしまうべきではない。彼は目前に迫っていたものに気づきもしなかったというのが真相である。 マルクスが「社会主義」と呼んだものは、如何なる形態の干渉主義とも、あまつさえロシア的形態とも類似していなかった。というのは、差し迫った展開は、政治的であれ経済的であれ国家の影響力を縮小するであろうというのが彼の確信であったのだが、干渉主義は至る所で国家の影響力を増強したからである》(同) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.01.28 21:00:09
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