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テーマ:歴史とは何か(135)
カテゴリ:歴史
苦難は歴史につきものです。すべて歴史上の偉大な時代には、その勝利と共にその不幸があるものです。これはひどく複雑な問題であります。なぜなら、一方よりも他方が善であると測れるような尺度を私たちは持っていないのですから。つまり、これから秤を作らねばならないのですから。これは歴史だけの問題ではありません。 日常生活の中では、小さな悪を選ばねばならぬ、やがて善になるかも知れぬ悪を選ばねばならぬ、という退っ引きならぬ事情に私たちが巻き込まれていることは、私たちが時に認めようとする以上に多いのです。 歴史では、この問題はよく「進歩の代償」とか「革命の犠牲」とかいう題目の下に論じられます。これは誤解を招きます。ベーコンが「革新について」というエッセーで申しておりますように、「慣習というものの片意地な持続力は、革新と同じように狂暴なもの」なのです。(E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)清水幾太郎訳、p. 115) ベーコンは言う。 《一ばんはじめに家名を拳げた人間は通常後から續(つづ)く大抵の者より一層大なる價値(かち)を有してゐると同樣に、最初の前例は(それが善いものである限り〕模倣によつてその壘(るい)を摩(ま)することは容易にできない。何となれば「惡」は倒錯せる人間性にとっては寧(むし)ろ自然の動向で、時の經過につれて益々その勢力を强めるが、「善」は努力による動向で、最初に於(お)いて最も强力なものであるから)(「24 革新について」:『ベーコン随筆集』(岩波文庫)神吉三郎訳、p. 117)※塁を摩す:名人や巨匠といわれている第一級の人物と、肩を並べられるほどに上達する 《すべての救治策は正に1つの革新である。而(しか)して新たに療治を加へないものは新たな惡化を覺悟(かくご)せねばならぬ。何となれば「時」は最大の革新者であるが、若(も)し其(それ)がその自然の勢(いきおい)で事態を惡い方に變化(へんか)させつゝあるのに、叡智と忠言がそれを善い方に向けやうとしないならば、どんな結末に到ることであらう? 慣習によつて定まつたことは、善くはないにしても、少くとも、適合してゐるものである。而して長い間相伴(あいともな)つて行はれたことは、云はばお互の間に提携ができてゐる。之に反して新しい事物はそれほどしつくり適合しない。それ等は、その效用を以つて裨益(ひえき)するが、その不調和の故に面倒を惹(ひ)き起す。尙(なお)、それ等は見知らぬ人に似てゐる。尊敬はされても愛されることは尠(すくな)いから》(同) ここで指摘されているのは、「革新」の負の側面である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.02.07 21:00:08
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