1606617 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

照千一隅(保守の精神)

照千一隅(保守の精神)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Free Space

「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

Profile

平成ソクラテス

平成ソクラテス

Comments

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

まだ登録されていません
2023.12.26
XML
テーマ:大東亜戦争(216)
カテゴリ:歴史

《吾人試みに日本最近畿十年の歷史をとつて通觀すれば西鄕隆盛は失敗したが而(しか)もその人格は化して日本民族最近50年間の絕對的支配者となり、各種事業の進行も皆彼の人格によつて進められた》(戴天仇『日本論』(章華社版):国立国会図書館デジタルコレクション、pp. 87f)

 西郷は、征韓論問題で挫折し、西南の役で賊軍としてこの世を去った。しかしながら、西郷が明治維新の最大の立役者であったことに変わりはなく、その高潔な精神は、非業の最期を遂げたことによって、さらに輝きを増したとも言えるだろう。

《當時彼に從つて失敗した土肥兩藩の努力は化して後の民權運動の中心となり.今日に至るも猶(なお)其の餘澤(よたく)は日本全部の既成(きせい)政黨(せいとう)を支配して居る。之れに反して事績上成功した長藩は一面西鄕の人格下に拜伏(はいふく)せざる能(あた)はざると共に他方民論の推移に隨(したが)つて其の政策を定めざるを得なかつた。事業の點(てん)よりいへば西鄕の征韓論は死後18年にして事實となり死後30年にして公然の目的と達した》(同、p. 88

 まさに「人間万事塞翁が馬」だ。失敗が成功をもたらし、成功が逆境を生む。

 朝鮮併合にまで進んだのだから、征韓論は、それ自体が否定されるべきものではなかった。つまり、西郷は、征韓論ではなく権力闘争に敗れ死地においやられたということだ。

《假(か)りに若(も)し明治4年西鄕の征韓論が通過したならば恐らく一大禍を惹起(じゃっき)し、日本の維新事業は全くお流れとなり、西鄕の人格も埋沒(まいぼつ)して其の跡を留めなかつたかも知れぬ。故に吾人若(も)し一代の歷史を讀まんとすれば決して一部の事實や、道德や、理論に迷はさるゝことなく、全部の歷史を見透して讀書の才を有用化するととが肝要である》(同)

 もし征韓論が実現していればむしろ困難な状況が引き起こされたかもしれなかった。だから西郷は、皮肉にも、挫折したがゆえに「英雄」としてその名を留めることが出来たとも言えると言うのだ。

 大川周明は、北一輝への追悼文に、次のように書いた。

《北君は、大西郷の西南の変を以て一個の反動なりとする一般史学者とは全く反対に、之を以て維新革命の逆転又は不徹底に対する第2革命とした。そしてこの第2革命の失敗によつて、日本は黄金大名の聯邦(れんぽう)制度と之を支持する徳川其儘(そのまま)の官僚政治の実現を招いた。

維新の精神はかくして封建時代に逆行し、之にフランス革命に対する反動時代なりし西欧、殊(こと)にドイツの制度を輸入したので、朽根(くちね)に腐木(ふぼく)を接(つ)いだ東西混淆(こんこう)の中世紀的日本が生れた。

かくの如き日本が民族更生のために第3革命を必要とすることは北君にとりては自明の結論である》(「北一輝君を憶ふ」:『大川周明全集 第4巻』(大川周明全集刊行会):国立国会図書館デジタルコレクション、pp. 236f






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.12.26 20:00:12
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.