2937226 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

がんばらないけどあきらめない

がんばらないけどあきらめない

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2021.04.11
XML
カテゴリ:遊行期を生きる

広隆寺の弥勒に匹敵する思惟菩薩
​​第三期は延宝七(1679)年からです。この年、円空が美並で滝に打たれて修業していたら、ここが釈迦の廟であり、釈迦がいるという白山の神のお告げがありました。それは円空が仏、あるいは仏に近い人になったという託宣でした。それから彼の作品はちょっと変わるんです。彼は仏像の背後に梵字を書きますが、これ以来「ウ」という字を書きます。「ウ」というのは「最高の」という意味です。円空は仏になった。そして関東へ旅立ちます。円空は40半ばで、いちばん力がみなぎっていた時代です。円空は修験道の寺を訪ねては像をつくったんですが、修験道の寺はほとんどつぶされて、現在では円空仏はあちこちに飛散しています。
(19)は栃木日光の清瀧寺の像ですが、中央の不動明王の背後の木が火焔になっています。右は矜鵝羅童子ですが、変な手をしている。こうやって見ると、右手か左手かわかりませんね。円空は自由自在につくっています。
この旅は3年ぐらいかかっています。日光で修業していたらしい。日光のものは、仏像はたくさん残っていないけれど、どれもいいものです。円空は、写実的な仏と大胆にデフォルメした仏と、両方を同時につくっています。
関東から帰って、円空はまた飛騨の旅に出ます。(20)は飛騨の千光寺にある両面宿儺です。両面宿儺というのは二つの顔を持っているという意味で、応神天皇の御代の地方豪族です。地方の首長は、両面宿儺にならざるおえない。ひとつは中央政府に向いている顔、もうひとつは地方の民衆に見せる顔。両面宿儺はそういう形で二つの顔を持っていたけれど、結局は、大和朝廷に滅ぼされた。円空は両面宿儺が好きだったんです。両面宿儺がいたという洞窟に入って、仏像を彫った。それがこの作品です。手に持っているのはマサカリでしょう。その上に槌のようなものが置いてある。両面宿儺であると同時に円空自身であるかもしれません。傑作です。
(21)は千光寺に残っている円空の像です。どうですか、すごい顔でしょう。円空自身が気に入っている自画像ですが、決して聖者の顔ではない。ひと癖もふた癖もある顔をしている。円空には予言の能力があった。「(高山の)お城の有る気がしない」と円空が言った数年後に高山の殿様が転封になったという話があります。予言者の目です。口もなにか叫んでいるでしょう。かぶりものには五智如来が描かれている。五智如来は密教の仏様です。
(21)は思惟菩薩です。これは弥勒菩薩だと思いますが、すごいですね。東洋の思惟をあらわした、広隆寺の弥勒菩薩に匹敵するような仏だと私は思います。

高山から少し離れた国府町(現在は高山市)
の清峰寺で円空は千手観音をつくっています。(23)。関東でも千手観音をつくっていますが、それはまだ習作のような感じ。この千手観音はいいですね。千手観音の脇侍に善女龍王(右)と善財童子(左)がいます。
元禄三(1690)年、上宝村(現在は高山市)の金木戸というところでつくった像(24)では、脇侍が一方は善女龍王ですが、一方は善財童子のかわりに東山天皇の像になっているんです。これはおもしろいですね。天皇も求道者です。円空は求道者としての天皇を尊敬している。円空には天皇をたたえる歌がありますが、この像では仏教を守る者として天皇をたたえている。
岐阜の高賀神社というところで円空は狛犬をつくりました。(25)これはおもしろいですね。狛犬というのは、どうも犬とであるより馬なんです。駒ヶ岳という山があるでしょう。円空の歌を読むと駒が天を飛んでいる。円空は駒犬が天へ飛んでいるような夢を見ているに違いない。

(26)は漫画みたいでしょう。歯が抜けている。自画像にあったように、円空は自分も歯が抜けている。これは「明道作」と書いてあるので円空と認めない人もいますが、長谷川さんは円空だと言っています。僕も円空だと思う。こんな像をつくるのは円空しかいないですよ。ちょこちょこっとつくっているけれど、見事でしょう。円空の最後に近い作品です。
(27)が最後の作品です。一本の木から三つの木片を切って、十一面観音をつくった。左右に善女龍王と善財童子がいる。これはお母さんと円空だと思いますね。彼の信仰の中心は十一面観音です。そして脇侍の善女龍王と善財童子。善財童子は聖徳太子の像の流れですが、善財童子が円空の自画像です。善財童子が
お母さんらしい十一面観音の方を見て、お母さんもこちらへ首を傾けている。これが元禄五(1692)年の最後の作品です。
晩年には先ほどの狛犬のある高賀神社に歓喜仏も作りまして、そこに「釜しばらく入定也」と記しています。釜というのは64を示します。だから、三年後の64歳で入定して、56億7千万年後の弥勒到来の世を待とうという思想です。以後、彼は歌もつくらないし、彫刻もつくらない。
そして彼の予言どおり、元禄八(1695)年七月十五日、お盆の入りに関市の長良川河畔で入定します。伝説では、長良川で大水になるごとに円空の霊が蛇になって出て、大水が出るから早く避難しろと知らせるといいます。
これはお母さんが大水で死んだことを裏付けるものだと思います。円空は56億7千万年後までミイラとなって生き永らえ、その間には、人々を大水から守る霊になるといって死んでいった。これが円空の人生です。
まだ円空が私の心から離れませんが、これで私の講義は終わりにしたいと思います。有難うございます。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.04.11 07:14:45
コメント(22) | コメントを書く
[遊行期を生きる] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.