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カテゴリ:サツマイモの歴史を覗いてみた
東京都目黒区にある、瀧泉寺(りゅうせんじ)。通称、目黒不動尊。 その本堂裏手には、甘藷(かんしょ)先生こと青木 昆陽(1698~1769)のお墓があります。 甘藷とは、サツマイモの漢名です 今回は、甘藷先生とお芋について綴ります(^_-)-☆ 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/青木昆陽 上図が甘藷先生 なんと、優しげなつぶらな瞳と凛々しいお口元 さて我が国のサツマイモの初栽培は、今から390年ほど前の江戸時代初期までさかのぼるといわれています。初栽培は、鹿児島県坊ノ津でのことでした。 それからしばらくして、享保17年(1732年)に日本で大飢饉が農民を襲います。 当時、関東でサツマイモの栽培を成功させ、それを全国に広めて、人々を飢えから救ったのが甘藷先生だったのです その功績により、“甘藷先生”や“芋神さま”と呼ばれるようになったといわれています。 (参考URL:目黒区ホームページ) 私はお正月に初詣をかね、甘藷先生のところへお参りに行ってきましたー♪ お寺の本堂は大勢の人で賑わっていました。 しかし、そこから5分程歩いた場所にあるお墓のあたりは、さっきまでの喧騒が嘘のように静かな空気感に包まれていました。 傍の樹木からは、小鳥のさえずりが聞こえてきます。 この日は、お天気もよく温かな日差しが降り注いでいました。 午前中に行ったのですが、見事な生芋がいくつも重ねられ、お供えしてありました。 インパクト大 それを見ていると、この国にサツマイモを普及させてくださった甘藷先生への感謝の気持ちで、改めて胸がいっぱいに。。 サツマイモのおかげで、生命の糸が私たちへと繋がれてきたといっても過言でないかもしれません。 『江戸時代中期の儒者。通称は文藏。元禄十一年(一六九八)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。彼は八代将軍徳川吉宗の命により蘭学を学び、長崎に遊学し、『和蘭文学略考』『和蘭貨幣考』『和蘭語訳』などを著述する。また『蕃藷考』を著し、救荒作物として甘藷の栽培を奨励したために“甘藷先生”と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書調査・収集した。明和六年(一七六九)歿。行年七十二歳。』東京都教育委員会 *〇゚+・。.。・+゚〇**〇゚+・。.。・+゚〇**〇゚+・。.。・+゚〇**〇゚+・。.。・+゚〇* お参り後に私は、ポケットの中にお芋キャンディーが入っていたことを思い出しました 甘藷先生に思いを馳せながら食べるお芋キャンディー。 高く透き通った青空。 木の葉に歌う小鳥と、陽射しが優しく笑ってる。 ほっこり ほくほく サツマイモ なお例年10月28日には、甘藷先生の遺徳を偲んで「甘藷まつり」が行われています。 目黒不動尊の境内には、サツマイモに関する露店(焼き芋,大学芋,芋羊羹,生芋など)が全国から集結します どこも、売り切れ次第閉店するということです。 お祭りの開催時間は、毎年少しずつ違うようなので情報UPを待ちましょう 今年の28日は、なんと日曜日!!! 今からスケジュール帳にメモ、ですね 【芋キュンスポット♪詳細】 場所:瀧泉寺(目黒不動尊) ・住所: 〒153-0064 東京都目黒区下目黒3-20-26 ・最寄り駅: (1)JR目黒駅から徒歩で20分 ・TEL:03-3712-7549 ・公式HP: http://park6.wakwak.com/~megurofudou/index.html ‥…━━ *‥…━━ * ‥…━━ * ‥…━━ * ‥…━━ * いもりん Instagram★ imorin113 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.04.22 22:47:32
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