今更、孤独なんて何てことないはず…。
捜しモノはまだみつかっていない。毎日毎日必死で捜しているのだけれど…心が無性に苦しい。逃げ出せたらどんなに楽か。苦しくて苦しくて、とてもやりきれない。夫が逝って1/15で丸19年、20年目に突入した。もしかしたら・・・コレが関係しているのだろうか ?コノ20年、何事も全て一人で解決してきた。訳だし、今更、孤独なんて何てことないはず…。でも、他に心当たりは全くない。いったい、どうなってしまったのか・・・とてもきつい。*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*16年前の3月に初めて[鬱病]というモノを経験した。その前の年、鬱で専門病院に入院した友人に面会した。その時、彼女が窓の外を見ながら言っていた。「毎日さがしているんだけど、中々みつからなくて。」[ぶら下がっても折れない、しっかりした枝]何をバカなコト言ってるのッ !!と返したけれど…その前に、甘いッ !! 考え方が甘すぎると世の中に甘えすぎ !! と・・・かなりきついコトを言った。何も出来ない、と言うから…。家事一般はもちろんのコト、自分のコトも全て。*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*出来ない… という意味がその時はどうしても理解出来なかった。何が楽しみ ? と聞いたら睡眠薬を飲んで寝るコトが一番の楽しみだと言った。ソノ理由は [何も考えなくていいから… ]"o(-_-;*) ウゥム… 正直、呆れた。 (ノ_-;)ハア…*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*が・・・ 一年後、まさか自分がそうなるとは。出来ない、の意味が、その時初めて分かった。喜怒哀楽の哀だけが残り、アトの三つは何処かへ。喜と怒と楽は自動的になくなってしまった。私はひとつは残っていたけれどもしかしたら彼女は、哀さえなかった様に思う。私は、周りに助けられ、6ヶ月かかったけれど何とか[鬱]という暗闇から脱出するコトが出来た。周りが私を一人にすると危険だと察した様で24時間一人にしてもらえなかった記憶がある。その時は、ありがたいとか感謝なんて全くなく怒るという感情ももちろん起こらなかった。*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*その6ヶ月の間に大事な人が2人他界した。毎日来てた[じい]と敷地内の建物に住んでいたSさん。短期間に大事な家族を2人も連れていかれて…やっと途中まで這い上がって来たというのに…鬱病真っ最中の私は、再度、地獄に突き落とされ言葉も忘れ、二度と這い上がれないと思った。*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*3月中旬に鬱が発症して、じいが他界したのが5月。Sさんが9月だもの、堪えない方がおかしいですよ。朝起きて来ないから見に行ってもらったら意識もうろうの状態で部屋で倒れていたらしい。男の人二人に支えられて歩いて来るのが見えたので娘と二人、急いで外に飛び出し、おでこに触ってみた。その冷たさに尋常ではないと感じたので救急車を手配しようとしたけれど、先代にとめられた。救急車のサイレンが鳴るとこの辺は大騒ぎになるのでね。消防署まで先代が連れて行きそこから救急車で病院へ。*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*前の晩はウナギとりに行っていたのに、どうして ?心臓と脳、ドチラの治療を優先するか ???心臓の治療は脳の活動をストップさせないと出来ないらしく親族から意見を求められたので、確率的に心臓優先を選択。私が決断したことで万が一のコトが起こっても本人はもちろん、誰ひとりとがめる人はいないと。そう何度も頭を下げられたら、断る理由はないしそこまで言われたら、引き受けるしかないと判断した。確か、故意に脳にいく血流を止めて昏睡状態にしたはず。じゃなければ、心臓を取り出して冷凍保存するとか ?*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*"o(-_-;*) ウゥム… 中々正確に思い出せない。何せフォルダーが空っぽなもので。( ̄▽ ̄;)アハハハ…顔文字が出て来たってことは、少し感情が戻って来たか。いつの間にか暗くなってしまったので、半端だけど消えます。何もこんな↑ところで寝なくても (^^;) <(_ _)> see you !!