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テーマ:ニュース(100145)
カテゴリ:経済問題・貧困問題
客殺到、店内に押し込んだ 20年前、恐慌寸前だった日
戦後日本で最も経済破綻が近かった日をあげるなら、ちょうど20年前の1997年11月26日である。多くの銀行で深刻な取りつけ騒ぎが起き、金融恐慌寸前となった。報じられなかった事実もふくめ、当事者たちの記憶をたどって改めて歴史に刻みたい。これからの私たちのために。 あの日の記憶をたどると東京・日本橋にある日本銀行記者クラブの小窓から見えた曇天がよみがえる。 この日全国の約20銀行の本店や支店に預金者が殺到した。これだけ広域に取りつけが起きた例は、終戦直後の混乱期を除けば戦後初めてだろう。 午前10時ごろ全国各地の記者から取りつけが起きているとの電話が相次いだ。私は急ぎ東京駅近くの安田信託銀行(現みずほ信託銀行)本店ビルに走った。入り口に客の姿はなくホッとしたのを覚えている。 だが扉を開けて、血の気が引いた。ふだんは客もまばらなロビーが、まるで満員の通勤電車内のように客であふれていた。外部に取りつけを見られるのは信用不安を広げるので厳禁だ。安田信託もその鉄則を守り、すべての客を無理にでも店内に押し込んでいた。 この日の朝、仙台市に本店がある徳陽シティ銀行が経営破綻を緊急発表していた。その9日前、11月17日には北海道拓殖銀行が都市銀行で初めて破綻。24日には4大証券の一角、山一証券が自主廃業を決めた。大型破綻で預金者に高まっていた不安が地方銀行の破綻で一気に頂点に達した。 このころ信用不安に見舞われた銀行の現場では数日で億円単位の預金が流出したところもあったようだ。 「平時は1千万円ほどしか置かない支店に億円単位の現金を備えさせた」「山一証券の小さな支店に現金3億円を運んだ」。元銀行員たちの証言は生々しい。 ーーー 不定期ですが、ボチボチまた書いていこうと思います。次の記事は、今週中にできるかわかりませんが。 1997年11月26日、多分このときの取り付け騒ぎと思われるものを聞いた記憶があります。当時いた部署の上司が、奥さんと電話していて、何とか銀行(名前は失念)が潰れそうだという噂で客が殺到しているので自分の預金も急いで引き出してもらう、みたいな話をしていたのです。日時を覚えていませんが、その上司が私の直属の上司だったのは1997年度の1年だけなので、多分この話と同じ出来事だろうと思います。 ただ、当時このことはマスコミには一切報じられていないはずです。新聞のどこを読んでも、取り付け騒ぎのことは出ていませんでした。まだネット時代ではなかったので、全部の新聞を調べたわけではありませんが。 破綻した金融機関の取り付け騒ぎは報じられても、まだ破綻していない金融機関のことは一切報じない、ああ、取り付け騒ぎを助長しないように自主規制しているんだなと、当時思った記憶があります。記事には、報じられなかった事実も含め、とあるので、改めてその推測のとおりだったんだなと納得しました。 これ以降も、私の記憶ではみずほ銀行で、合併前の各銀行のシステムの違いに起因するシステム障害が頻発したことが顧客の不安を招き、取り付け騒ぎというような、一度に殺到するような事態ではなかったようですが、かなりの預金が引き出される事態がありました。何を隠そう、私自身も、当時みずほ銀行に持っていた定期預金を全部解約して普通預金に移してしまいました。(さすがに全部解約して現金で持って帰ろうとは思わなかったですが) その時の経験で、行員は預金の引き出しを妨げるような言い方は一切しませんせした。「現金でお持ち帰りですか?」と言われて、私の方が「いえいえ」と。下手な引き止め言動は信用不安を拡大しかねないという判断からそういう対応にしたのだろうと想像しています、 以前、銀行は不良債権くらいでは簡単には潰れない、銀行が破綻するのは取り付け騒ぎが起こった時、というようなことを何かで読んだ記憶があります。そうなのでしょうね。ただ、日本は戦前の金融恐慌で取り付け騒ぎと銀行の倒産で大きな影響が出たことから、戦後はそのような事態を避けるべく細心の注意が払われてきました。 ただ、それでも取り付け騒ぎは度々起きてきました。まったくのデマから火のないところに煙が立ってしまったのが、豊川信用金庫の取り付け騒ぎ。 1997年といえば、まだインターネットが今ほどは普及していなかった時代です。それでも口コミは風のような勢いで広がり、20銀行なんて規模の取り付け騒ぎが起きた、ということは、これがもしも今だったらどうでしょうか。インターネットで、瞬時にそんな情報は全国に広まる。どんな対策でも支えきれないような規模の取り付け騒ぎになっているかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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