|
テーマ:ニュース(100293)
カテゴリ:音楽
日本文化の危機、三味線の最大手「東京和楽器」が廃業へ 需要激減にコロナが追い打ち
三味線の最大手メーカー「東京和楽器」(東京都八王子市)が8月に廃業することになった。近年の需要の低迷や消費税率引き上げに加え、新型コロナウイルスの影響が追い打ちをかけた。創業135年、邦楽界を支えてきた老舗の幕引きに、業界では激震が走っている。 「断腸の思い。4、5月は注文がゼロ。もともと大変だったが、これをきっかけに廃業を決めました」と話す代表。135台の機械がそろう作業場では、職人たちが胴となる木材を削るなどの工程を黙々と行っていた。高い技術でプロや愛好家、小売業者から信頼され続けてきた。 全国邦楽器組合連合会の調べでは、三味線の国内製造数は、1970年には1万4千5百丁だったが減り続け、2017年には1200丁となった。同社でも10年以上前は年間800丁ほど製造してきたが、最近は400~500丁に減少していた。 そこへ昨年10月の消費税率引き上げ、今年のコロナ禍も影を落とした。舞台公演や演奏会などは中止となり、修理や新調などの三味線需要もぱったり止まった。後継者のめども立たず、廃業の意思を固めた。 専門誌「邦楽ジャーナル」編集長は「ものすごく大きな事件。1社の廃業でなく、日本文化の危機。修理に時間がかかるなど、いろいろなところに影響が出ると思う。文化に対する国の予算も先進国では最低。東京和楽器の職人は国の宝と考えるべきだ」と懸念する。 --- 現在、和楽器の世界に限らず日本中、いや世界中で音楽を生業としている人たちは生活の糧を奪われて大変苦しい状態に置かれており、その限りでは和楽器だけが特殊ではないものの、引用記事を見る限り、和楽器の世界はすでに新型コロナ以前から破滅的な状態に陥っており、新型コロナは最後の一押しに過ぎないように思えます。 まさか、三味線の年間生産数が1200丁なんて、そこまで減っているとは思いませんでした。 全国邦楽器組合連合会にすべての三味線製作者が加入しているのか、三味線の範囲はどこまでか、といったところを考慮する必要はありそうです。具体的に言えば、おそらく沖縄の三線は三味線には含まれないでしょうから、三線を含めれば、年間生産数1200丁ということはないように思います。 とは言え、邦楽(和楽器)の世界が、おそらく沖縄以外では存続の危機に瀕していることは間違いないのでしょう。そう言えば、沖縄に行ったのは昨年春が初めてだったにも関わらず、我が家にはその前から三線は、あります。でも、三味線は我が家にはない。尺八は、塩ビ管製のものを人からもらって1本持っています。でも、ケーナは50本くらい、サンポーニャだって大小あわせて7~8組あるのに、尺八はその1本だけです。 この、音楽大好き人間の私にしてそうなのだから、推して知るべきでしょう。 真剣に思うのは、「フォルクローレ」は日本では超マイナーな、奏者も少ない音楽と思っていたけれど、ひょっとすると沖縄を除いた和楽器人口(三味線、琴、尺八)は、もう日本のフォルクローレ人口に匹敵するくらいの規模しかないのかもしれません。もっとも、篠笛と和太鼓は、フォルクローレよりは人口が多そうに思いますが。 何でそんなに和楽器が流行らなくなったのか、昔、ある知人が「名取り家元制度のせいだ」と言っていたことがあります。確かに、「××流」の流派に弟子入りして、高額の楽器を買い高額の謝礼を払わないとその世界で相手にされない、となると、なかなか裾野は広がらないだろうな、という気はします。もっとも、今でもそういう体制が強固に続いているのかどうかは知りませんが、気軽に始めてみよう、という間口の広さがないことは確かでしょう。 もっとも、尺八などは、私は何とか音が出せますが※、フルートやケーナの経験がないフツーの人が吹いてすぐに音を出せる代物ではありません。虚無僧が演奏する「法器」として、あえて簡単に音が出ないように作ってある、と言います。(吹き口の切り口がケーナのように深く彫り込んであると吹きやすく、浅いと吹きにくいのです。尺八は非常に浅いうえに、肉厚が非常に厚いのでとても音を出しにくい楽器です)あれを完全独学で音を出すのは、なかなか困難かもしれません。 ※そう大口をたたいてみたものの、押し入れでほこりをかぶっていた塩ビ管尺八を久しぶりに吹いてみたら、音が全然でない。いまちょっとアルコールが入っているせいもあって、素面だったら音は出るはずですが(少なくとも以前は出ていた)、ケーナはアルコールが入っていてもまったく問題なく音が出るので、やはりケーナと同じにはいきません 名取家元制が衰退の原因かどうかはともかく、残念ながら現在の多くの人にとって、和楽器による音楽は魅力的なものとは感じられていないというのが現実なのかなと思います。魅力的な音楽と多くの人が感じれば、いくら名取家元制があろとうと、その外側で勝手に見様見真似で始める人がいくらでもいそうです。そうなっていないのが現実ですから。 そういう意味では、「東京和楽器の職人は国の宝と考えるべきだ」というコメントは、そのとおりではあるものの、その影響力が小さい、あまりに狭い世界での「国の宝」になってしまった、と言わざるを得ないように思います。 音楽は、やっぱり理屈も大事だけど最後は感性です。どんなにすばらしい日本の伝統であっても、理屈ではなく、その音楽を「良い」と感じる人が一定数いなければ、なかなか将来の展望が開けてこないのでしょう。 そういう意味では、沖縄は今でも伝統音楽が生きている世界、と思うけれど、その沖縄だって相対的に他の地域よりはまだマシということと、本土に一定の沖縄音楽ファンがいるから成り立っている、という部分はあるのかなという気はします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[音楽] カテゴリの最新記事
|