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isaの同時代フィールド・ノート

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Jul 26, 2006
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『日本沈没』観てきました。
 拙著『マンガ・特撮ヒーローの倫理学 モノ語り帝国「日本」の群像』を読んだ人にだけわかる、なぜこれがモノ足りないか、そしてなぜこれが日本のモノ語りの典型であるかについての簡略な解説。
 なぜモノ足りないか。まず、草なぎ剛の「よそ者」度が圧倒的に低いために人間造形が弱く感じられ、一方「知る者」であるはずの豊川悦司が「よそ者」として振る舞うことで奇矯な印象を与えてしまい、さらに致命的なのは「つなぐ者」が柴咲コウと大地真央に分裂してストーリー展開を錯綜させてしまったこと。「よそ者」「知る者」「つなぐ者」のそれぞれの役割がもっとクッキリしていれば、人間造形にモノ足りなさを感じさせることはなかったろう。
 しかしそれでもこれは日本のモノ語りの典型である。まず、地下にある「異世界」が「この世」の倫理を問うという設定、そして死者への祭祀へと向かう「反省」のストーリー、これだけでも、この映画がハリウッドとは違う、物語的「倫理」によって根底を支えられた日本のモノ語りであることはあきらかである。ハリウッドならばまず「異世界」の侵入が「こころ」の問題となることはなく、「よそ者」と「知る者」が別れることもない。この映画は徹頭徹尾、日本の「こころ」の物語である。
 いろいろと文句はあるけれど、最後は感動しましたよ。  





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Last updated  Jul 26, 2006 09:24:10 AM
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