|
カテゴリ:カテゴリ未分類
あら、あたしもとうとう花粉症デビューかしら? とおもっていたら普通に風邪でした。 三寒四温でとうとうアタシもバタンキュー(←死語)です。 しんどい...。 今日は一日うとうとして過ごしました。 頭が熱でボーっとしております。 もう四月。 えっと。 三月に読んだ本デス。 何読んだっけ。朦朧とした頭でイマイチ思い出せません。 今読んでるのはGabriel Garcia Marquez (ガルシア・マルケス)の「Love in the time of cholera」であることは確かなのですが...。 イマイチ思い出せないので、書きたかったことだけ書こうと思います。(最初からそうしろよ!) 運命の出会いってあるような、ないような。 なになに?いせまりさん、熱であっち側に行ってしまったって? (って言うか、もうこの口調が完全アッチ行っちゃってる。) えと、そうではなくて。 うーん、上手くいえない。 自分が本読んでて、全く違うコンテキストで読んだ本同士が思わぬところで繋がった時、すっごく人の縁ならぬ「本の縁」を感じるのデス。 過去に幾つでも例はあるのですが、まあそれはさておき。 つまりですね、最近読んだ本でIan McEwan (イアン マキューアン)の「Enduring Love」があります。 (少々ネタバレあり) イアンマキューアンというとブッカー賞受賞の「アムステルダム」ばかり取りざたされがちですが、 ワタシはそれよりも「贖罪」、そしてむしろこの「Enduring love」のほうが好き。 これは最近読んだ本の中でもかなり面白かった部類に入ります。 つまり一時はやった典型的なポストモダン小説のさらに上手というか。 主人公のジョーは、科学雑誌に記事を寄稿するジャーナリスト。お互いに深く愛し合い、理解しあう、長年の恋人クラリッサと共に暮らしている。 ある日、クラリッサと出かけたピクニックで、気球事故に遭遇するジョー。その場にたまたま居た何人かの男たちが救助に駆けつけた。乗組員は無事だったが、救助にあたった男のひとりが、死んでしまう。その英雄的な死はジョーに、罪悪感と共に深い印象を植え付ける。 そしてその事件の夜、1本の電話がジョーのもとにかかってくる。「あなたはぼくを愛している。僕もあなたと同じように感じている。」と。それ以降、ジョーはその電話の主であるバリー(救助の時にその場に居た男達の1人)に執拗に追いまわされるようになる。クラリッサとのすれ違い、心の片隅へと追いやっていた失われた野望と挫折感。現実とも虚構ともやらぬ、日々の始まり。 非常に美しい文体で有名なマキューアンですが、この作品もオープニングから有無を言わさぬパワーで引っ張り込まれ、マキューアンの独特の世界に投げ込まれる感じです。 日常のもろさ、叶えられなかった夢の慟哭、愛と不信。 一気に噴出す闇。 とかかくと、上のあらすじと合わせて、 ははーん、ああいう感じね。 と、所謂ポストモダン小説を思い浮かべるでしょう? 一斉風靡したポールオースターみたいな。 自分の頭の中にどんどん入り込んでいって、その自分を付回すバリーの存在すら、自分のアニマみたくなっていって、現実と虚構の境界線がどんどんぼやけていくああいう感じ。 ノンノンノンノン。 それがちがうんですよ!!! 上手くいえないんですけど、マキューアンはその更にもっと複雑なんです。 つまり、物語のフレームは二段階なんですね。 ジョー及び読者の視点から、バリーの狂気により妙に理路整然とした(狂気の世界って妙に理路整然としている)世界を見ている感じ。(当然のことながら、かなりバリーの世界にジョー自体が影響されているので境目ははっきりしないのですが) 従って、ストーリーラインは非常にリアルでかなりしっかりしたプロットであるにもかかわらず、そこには妙に人工的な息苦しさと緊張感がある。 すげえ、上手い。 で、ですね。 このマキューアンと何が「本の縁」かと申しますと。 今年ですね、Myブームはですね。今頃になってIris Murdoch (アイリス・マードック) なんですよ。 アイリスって映画にも数年前になりましたが。sea, the seaとかphilosopher's pupilとかが有名なんでしょうか。 それでですね、「Enduring Love」読んだすぐ後に、彼女の「The Bell」という比較的マイナーな佳品を読んでいたところ、その前書きでByatt(というコレもまた有名な小説家ですが)が、この時代も作風も何もかもチガウ二人の作品に触れてて、その内容にうおおおおおっておもったんです。 つまり、Byattが生前のマードックに会った時に、彼女が 「小説家とは何よりも先にストーリーテラーでなければならない」 と言っていたのに触れて、何でもありの所謂「ポストモダン」時代の先にある「ストーリーテラー」の一例としてマキューアンに触れていたんですね。 Enduring Loveについても、「ブッカー賞の審査員はこの小説が「余りに整然とタイトに作りこまれた物語」であるとして退けたが、それは誤りである。この小説は叶えられない愛、「存在しない愛」を、バリーという男が狂気の中で「存在するように」作り出した物語なので、そもそもこの人工的で息苦しいまでにタイトに作り上げられた世界こそが、マキューアンが表したかったものなのだと。 ま さ に。 言いえて妙、でした。 いや、こんなこと書いてもEnduring Love読んでないとなんともいえないですけど。 つまり、 マードックとマキューアン。 (しつこいようですが)こんなに時代も作風もかけ離れた二人の作家が、 小説の本来の楽しさ、何よりもストーリーの豊かさ、面白さ、そして文体の美しさ、 古典的な喜びを私たちに呼び起こしてくれるその不思議さ。いみじさ。 を感じて不思議な縁を思ったのでゴザイマス。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|