さて、午前三時になった。たいていはこの時間に仕事も一段落するが、今晩は昨夜の(この場合、午前0時前の夜のこと、つまり11.4の夜という意味ですが)おでん炎上事件の余波で、数時間ロスしたため、まだ半分も段落されていないのだが、米をとぐのでそのついでにこうして日記を書くことにした。午前三時になぜ米をとぐかといえば、この時間の水は、非常に活性化すると、その昔にお豆腐屋さんからおそわったからだ。たしかに昔の豆腐屋はこの時間に起きだして豆腐をつくっていた。「午前三時の水」という。すなわち、この時間の水ならば、御飯だって美味しく炊けるはずなのである。しかし、ほんとうにそうか? と問いつめられれば、たぶんそうだとおもう、としかこたえられない。自信はあるが、断定はしにくい。味覚という主観的なものが絡むために、科学的という尺度のなかで解答が得られるものでもないように思うからかもしれない。ひょっとすると迷信というやつかもしれない。だが、科学というものですべてが説明できるものでないこともまた真実である。しかし世間には合理的に説明できないものはデタラメである、とかたくなに考える「バカの壁」人間もすくなくない。だから、「誰がなんといおうがオレはそうおもう」と、結局は開き直るしかないのである。
ちかごろ流行の「自己責任」という言葉は、しかし、開き直らずにその胡散臭さをじゅうぶんに論証できる。わたしはこれは銀行というかファイナンス世界と国家をうごかす連中の陰謀ではないかと、じつはひそかに疑っている。こういうモラル、倫理道徳の押しつけは、社会が閉塞状況になるとかならずのさばり出てくる怪物のひとつである。国家はおのれの役割を放擲し、都合良く個人に責任を押しつけることが出来る。銀行も破産しても預金を補償せずに済む。企業も倒産しても粉飾決算しても、しらんぷりで逃げられる。個人に責任を押しつけるというマジックは、ほとんど万能に近い効果を発揮してくれる。だから、国家をうごかす人間たちが、その無能と無策と強欲と卑劣のゆえに社会が閉塞状況になってしまうと、この「自己責任」がのそりと起きだすのである。
ここまで書いて、読み返すと、あまり説得力のない書き方だなあと我ながら忸怩たる思いであるが、自己責任で放置します。がんばれよ、「自己責任」だ。
ところで、このたび発行されたあたらしい日銀券のことだが、米国の1ドル札にGPSと連動するマイクロチップが仕込んであるという話はご存じの方もおられるとおもう(紙幣を日にかざすと見えるという話もある)。一定の分量がまとまると、GPSで位置情報が検知できる仕掛けだ。マネーロンダリングなどを防止するという狙いかららしいが、日銀券のほうはどうなのだろう。仕掛けられているとするならば、少額紙幣の野口英世あたりが怪しい。でも、確かめてみたい方はあくまで「自己責任」でね(笑)。
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