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カテゴリ:世界
きのうから妙にあたたかく、いまにもサクラが咲きそうな陽気がつづいている。きようは朝からどんよりと曇つていて、室温はなんと12度もある。この三日ほどまとまつた時間が取れずブログを書きそびれた。といって、仕事がすこしははかどつたかというと、そうでもない。情報だけはあれこれと飛びこんでくるがカンジンが無い。まつたく数十時間を徒労のままに過ごす、そうした繰り返しが果てしなくつづく。この三日間のあいだにも世間はさまざま動いていて、ヒユーザーという偽装マンシヨンのデベロツパー会社は損害賠償を國に訴える裁判を起こし、ライブドアはその醜聞がいよいよぞろりと暴露され株価は下がりつづけて今朝の新聞の市況欄では116円まで下落した。またきのうは東京地検特捜部が防衛施設庁の高級官僚三名を空調工事をめぐる「官製談合」の容疑で電撃逮捕した。薄闇のなかでながれるラヂオのニユースを片耳で聴きながら、そうして朝を迎えて戸外に出れば、しとしとと一月の雨だ。昼近くになつて同じラヂオから聞き覚えのあるシヤンソンが流れ、おや!?とおもえばかの還暦デビユーで話題になつた若林ケンの歌声であつた。魂が熱い、めずらしくオトナの歌い手である。小鳥の声を聴くようにあらためてしばし耳をすまし、渓流の音がごおと響く虚空のほうへふたたび目と耳と半身を向けてみる。歌舞伎町に店を開いたのが29歳でしたか、はじめはお客さんも来なくて、でもカラオケがまだ無い時代でしたがぼくはレコード会社からカラオケのテープを戴いていて、それをバツクに歌うことにしたんです。そうしたらお客さんが来るようになりましたね…若林ケンは昭和20年生まれだそうで、そうした話を淡々と語る。聞き手の山田敦子アナウンサーの品格のある合いの手は相変わらずで、ふときづけば番組は一年前の再放送だつた。そういえばきのう30日の書かれざる日記はこうである。
2006年5回目の日曜日の深夜をくぐり1月30日月曜日の朝へとむかう未明の山中、午前5時。炬燵のかたわらには例によってやくざ猫のグレがいびきをかき、またすっかり家猫と化した化け猫ダイスケ生後6ヶ月がうろつく。そうした風景の六畳和室の蛍光灯の下、炬燵に腰まで入れたかっこうでノートパソコンに向かう。胸元には広辞苑の第五版を抱いて、パソコンの下には読みさしたままここ数日放ったままな『評伝ドストエフスキー』(コンスタンチン・モチューリスキー著 筑摩書房刊)が750頁まるごと台座と化している。8800円+税の書物もパソコンの台座としては役不足で、造った編集者や出版社には申し訳ない。いっぽう広辞苑は枕にちょうどよく、そういえば先代第四版はその生涯の大半をわが頭の枕として過ごしたのだった。 …これは或る犯罪の心理的報告書です。事件は現代的なもの、今年おこったものです。大学から除籍された青年、出身からいえば町人階級で、極貧の暮らしをしていて、思慮がなく、想念も不安定なために、いま流行りの或る種の奇妙な『不完全な』思想にとらわれた青年が、いまわしい自分の状態から一挙に抜け出ようと決心します。彼は高利貸をしている九等官の後家さんの老婆を殺そうとします。その老婆は愚鈍で、聾で、病身で、強欲で、ユダヤ人顔負けの高利を取り、意地悪で、自分の妹を女中に使つていじめたりして、ひとの一生を押しつぶしています。『あんなやつは何の役にも立たない』、『なんのためにあいつは生きてるんだ』、『あんなやつが、およそ誰のためになってるというのか』、云々。こういった疑問がこの青年を惑乱させるのです。彼はこの老婆を殺して金を奪おうと決心します… 『評伝ドストエフスキー』のなかの、小説『罪と罰』の最初のアイデアを知人の編集者(『ロシア通報』発行人カトコフ)に書き送つたドストエフスキーの手紙の内容を、ざっとここまで引用したところで、ワインの酔いが回りそのまま寝てしまつた。せっかくだからつづけよう。ちよいと語りたいことがこの中にありそうだ。いや待てその前に、グーグルでなんとはなしに「若林ケン」を検索してみたところ、面白い言葉に偶然出会つたのだったっけ。「ふたつでじゅうぶんですよ わかってくださいよ」…はて?どこかで聴いた台詞だぞとおもったが最初は思いだせなかつた。う~~んどこだっけと20秒ほども考えてようやくそれが映画『ブレードランナー』の冒頭部分、奇妙な日本語をあやつる屋台のオヤジの吐く科白であったことにおもいいたった。記憶とは面白いなと思いつつ、ここで小休止。う~~んしかし雨だ、このつづきは、夜になるかな(笑)。で、一句。 ぼろぼろと鍍金はがれる初むかし 「初むかし」は新年から振りかえる去年。なによりわがことであり、かつまた日米同盟の海の彼方のモンキー大統領閣下のことだつたり、このニッポン國のただいまげんざい、小泉政権のことでもあり、小菅に入つた高級官僚やホリエモンやら、あるいはまたライブドア投資事業組合の闇と耐震偽装のふたつの闇にマタサキ状態になり、その足元からぽっかりと黒い奈落が口を開けている景色のプリンス安倍晋三君らのことでもあるような(笑)。ともあれドスコイ奇怪な娑婆ではある。うーん、冷えこんできた。こんやは雪か。…ライブドア事件ではどうやら特捜部とともに、警視庁組織犯罪三課も動いているようだ。こんご政界のほうへ波及するか否かに関わりなく、相関図に登場する主要人物の名前をみればそのむかしわたしも追いかけた、失踪した某地方テレビ局首脳にまでつながってゆくアヤシの人脈である。ほぼ全容が見えた。「外資に骨までしやぶられて…」なるほど、昨年三月時点でホリエモンはすでにガンジガラメであったか。走りつづけるしかない、諸行無常にもなるわけだ。 …ところが、ここに犯罪者の心理的プロセスが残らず展開して行きます。解決しがたい疑問が殺人者の前に立ちはだかつて、思いもかけぬ、予期せぬ感情が彼の心を悩まします。神の正義、地上の法が勝利を収め、ついには自首しないわけに行かなくなります。たとえ徒刑生活で朽ち果てようとも、もう一度人びとのなかに加わるためにです。犯罪直後に感じた人類からの疎外感、隔絶感が青年を苦しめます正義の法則と人間らしい本性が勝ちをおさめたのです。…最近おこったいくつかの事件が、このテーマが決して的のはずれたものでないことを確信させてくれました。まさしく、殺人者は知的発達をとげた、むしろいい傾向さえそなえた青年なのです。(引用は同上) ドストエフスキーというひとは粘着質で(てんかん気質)ものごとのいいまわしがくどい。しかしだからこそあのような観念と妄想と壮大な野望や混乱のぎつしりと詰まつた物語世界を構築し得たのだろうが、ここで云いたいのは、およそ140年前にロシアの中年男(当時、ドストエフスキーは44歳)が考えだした犯罪小説世界と犯罪者の心理は、そっくりそのままに、たとえばいま、小菅の独居房で寒さの中に震えているだろうホリエモンの心の一部でもあるだろうということだ。もちろんホリエモンのばあいはラスコーリニコフとはちがう。殺人者でもないし強盗でもない。だが、「犯罪者」という社会的カテゴリーを(本人の意志とは無関係に)与えられ分類されてしまつた存在であることでは、まったくおなじであろう。また自分を特別な存在と考えたであろうことも、「いまわしい自分の状態から一挙に抜け出よう」(前記引用の手紙より)と考えたことも主人公と一致する。もっとも、あの肥つた体躯を『罪と罰』の美青年となぞらえるのはいくらなんでも違うだろうと反対されるか。逮捕前の豪奢な生活ぶりも小説世界の貧しい青年とは正反対ではある。あの小説世界に登場する人物で云うならば、予審判事ポルフィーリイのごとき特捜検事(もれ伝わるところではホリエモンの取り調べに当たつているのは特捜の副部長らしい)の追及にあい、否認つづけるのもきつかろう。わたしは勝手に『罪と罰』の後半、予審判事ポルフィーリイが主人公をねちねちと精神的に追いつめるシーンをおもいだした。 さて、語りたいこととはニヒリズムのことだ。わたしには、ドストエフスキーが19世紀半ばのペテルブルグを舞台にラスコーリニコフの物語で中心に据えた虚無主義思想は、じつはIT時代の現代のどまんなか、自由主義経済のどまんなかでそつくりそのままに再生されホリエモンという形象を借りて現象した、とおもえてならないからである。それは…たとえばこんないいかたで喩えることも出来るだろう、すなわち、楽天の三木谷やソフトバンクの孫正義といったIT経営者たちと堀江貴文は一線を画す、ホリエモンはあきらかに異質ななにかをその身に帯びていた、そして、それこそはニヒリズムのニオイであろうと。それとも、デジタルという、すべてをモノではない非物質のbit世界へと転換してしまう世界は、どこかでその本質に「空の空」という究極のニヒリズムを含んでいるのだろうか。 六本木ヒルズの38階に特捜部の強制捜査がはいる前まで時価総額にして1兆円を超す資産を保有したホリエモンのライブドアグループは、それからわずか二週間で、8000億円の資産をまたたくまに失つた。これはまさしくニヒリズムそのものの世界である。われらがこの事実に真正面から向かうとき、現代世界の経済という壮大なカラクリのどす黒い深淵がぱっくりと足元に口を開けていることに気づいてがく然としないであろうか。この世の富と経済の繁栄を例証してくれる成功者が、たとえば、SONYの盛田だったり、マイクロソフトのビル・ゲイツであったり、ソフトバンクグループの孫正義であるとすれば、わずか10年でゼロから資産1兆円の企業グループをつくったホリエモンは、この経済の土台がじつのところはニヒリズムの黒い、底無しの暗黒(ダークマター)によつて出来ていることをまったくわかりやすいカタチでわたしたちに見せてくれたのではなかったか。…つまり、堀江貴文という存在は、イラクのサダム・フセインらとおなじく時代を象徴するダーテイヒーローであり、ドストエフスキー的存在=「現代のラスコーリニコフ」=なのだ。 小泉純一郎や竹中平蔵、武部某などなどの雑魚は、ホリエモンの存在によつて、のちの歴史に名を刻むことになるだろう。感謝しなくてはいけない(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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