冬の空がもどつてきた。外の気温は日が照りだしてもここではまだマイナスだ。ストーブを焚きつづける室内との温度差で、窓硝子には夥しい結露ができている。玄関ポストに刺さつた朝刊を抜いてライブドア報道をながめてみる。一面トツプは徳島ー羽田線のスカイマークエアラインズの使用する機体に亀裂があったというニユース。LD株上場廃止の記事は一面中央に4段抜きで扱われている。地味な扱いだ。すでにLD事件がスケジユーリングされてしまつていることを印象づける。堀江容疑者らの拘留期限切れになるきょうは特捜部が本体であるLD社の粉飾工作容疑で拘置中の役員たちを起訴する、それはきっと夕刊が配達される地域では夕刊の一面を飾るニユースになるのだろう。こちらはけして「粉飾」(誤報)でないというわけだ(笑)。じっさいのところ、被疑者や被告人の立場に身を置いた経験のない世間一般の良識にとっては、善悪の彼岸などというものの一種「不条理さ」には無関心だろうし、そこまで考えは及ぶことがない。東京・小菅の三畳の独居房でホリエモンらかつてのLD役員たちが、いまこの瞬間にどのような気持ちでいるかなどにももはや関心は無かろう。「事件」はさながら既定事実となってしまった「割れた皿」のごときもので、いまさらビデオテープを巻き戻してお皿が割れる瞬間を再見しようなどともおもわない。それらはやがて確実にやつてくる「ライブドア裁判」という儀式のほうへゆだねられるわけだ。そうした、いはばマツリゴトの世界の出来事へとマツリアゲラレたなかにあるのが、現在の「ライブドア事件」の姿であろう。こうして一件が落着する。マスコミも世間も世界も証券市場という無限循環区間を走るバスも、途中下車した客たちの行方なぞにはいちいち頓着などしない。じゃーに~♪なその日暮らしの刹那主義と自由主義と資本の理屈でできた車輪は、魑魅魍魎を満載した荷台の積荷を配達しつづけなくてはならないのだ。だが、先日来わたしがこれを書いているのは、その積荷を配送しつづけるカラクリの本源近くに、どうやらキナクサイ匂いを感じるからである。2006.03.12の日記で「おぼろな風景のむこうから得体の知れない何かがやってくる…侵略者はたいていは気づかぬうちにそっと入りこみ…」と書いたもの。だが、それを何と呼ぶべきか。グローバリゼーシヨン?…そのように云つてしまうとすこし違う。ではなにか。
そのことを考えるために、じつはいまこうして書いている。
(つづく)
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