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2006.11.20
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カテゴリ:極東
どしゃぶりの中、裸足にサンダルつっかけて濡れる落ち葉の車道を突っ切る深夜二時。闇まですっかりびしょ濡れて手前の四辻から吹きこむ突風に手に持つビニ傘があおられそのままふわっと体ごと宙に浮き上がり夜空へ舞い上がりそうにもなる。雨に濡れた黒い舗装路に日曜日から月曜日に推移した電飾看板の、欲望に粉砕された光のかけらが映り込み、さながらここは上海香港ジブラルタルか。喜界島の上空で軽い食事をすませ、翼を右へわずかにあげればウイングの先のオレンジ光がちぎれ飛ぶ黒い雲を照らし出す。こっちからあっちへ意識の底で旅をしつつ黒い革張りのソファからまたも転げ落ちて目を覚ました。瓶ビール一本とたらふく詰め込んだ焼き肉の未消化分はどうやら夢の中で昇天し硝子戸の向こうはアフリカの大地のように広漠と果てがない。とうに夜は明けていたが流れはじめたばかりの時間は初冬のつめたい雨にたたきつけられた布きれの無惨さでべったりと身体にまといつき、皮膚の毛穴を窒息させていた。どうやら午前がすでに昼近くまで押しかけてきていて正午には晴れやかに雨上がりのサイレンが曇天の11月の空に鳴り響くのだろう。ブザーが鳴って場内が明るくなると、そこは古びた地方の駅舎でわたしは待合室のベンチで正午10分発の列車を待っている。百年前のわたしは現在の「私」をケータイの待ち受け画面の中に押し込んだ。そのとき天啓のごとく「ゲーム脳」ということばが浮かび、置き去った1970年代から80年代のブロック崩しや大学解体やロシアの闇から走り込んだテトリスやらが閃光のように今生世界を切り替えた。

目の前に二つの新聞記事のコピーがある。ひとつは「子供の安全、改札や学校で確認 ICカード活用広がる 東急グループ関東で展開」という、11月18日付け日本経済新聞の記事。定期券機能を持つICカードに登下校時や入退室情報を保護者のパソコンや携帯電話に送信するサービスを鉄道会社が来春からはじめるという内容だ。もうひとつは、今朝の朝日の「時流自論」というコラム。写真家藤原新也の「いじめという集団の自傷行為」なる小論と「家の外との中間空間である電車内の光景には、日本社会の縮図が見える」という短いキャプションの付いた、藤原撮影の電車内のカラー写真。かつて金属バットで父親を撲殺した少年の家を大判カメラで精細撮影してみせた写真家は、おなじ力でこのニッポンの不可思議空間を捉えきった。スカートをはだけてまるで自宅の居間でくつろぐように車内の床にしゃがみこむ女子高校生ふたりと、ほとんど太ももを露わにしたハイミニ姿で立つ高校生の、その向こうにはそうした光景には無関心なままケータイで話す若い男の立ち姿。そして写真に被さるように藤原の文章が次のように語り出す。〈11月初旬のある日の夜10時JR山手線に乗っていた。隣の席に塾帰りらしい小学生が座る。ランドセルからスポーツ飲料とサンドイッチと「ポッキー」を取り出し、携帯でメールをチェックしながら食べはじめる。夕食らしい。携帯の画面には「あいつ」「ゴキブリ」という言葉がちらりと見える。小学5,6年生くらいだろう。子どもは携帯画面を見終えると、手さげバッグからゲーム機を取り出し、一心に両手の指を動かしはじめる。画面には飛行機の影が浮遊しており、神経症のようにたたきつける指の動きと連動してビームを発射し、しきりに何かえたいの知れないものを攻撃している。その子の姿に、催眠術のようなピアノ曲がバックに流れる塾産業社のテレビコマーシャルが二重写しになる。テレビの中の子どもたちは異様な静寂の中で鉛筆の音だけを発し、黙々と答案用紙を埋めている。塾の行き帰りは、あたかも何かから追われてでもいるように前のめりの早足で歩く…〉。

それはけだるい真昼の暗黒世界であり、ゲーム脳とケータイとぬめぬらりとしたノッペラボーな非日常がすっかり日常化してしまった平成十八年ニッポンの現在だ。三歳から十二歳までを米国西海岸で育った知り合いの帰国子女(男子)は、日本にもどっていちばんびっくりしたのがイジメに何の抵抗もなく加わってしまう同級生たちだったと、あるときわたしに打ち明けた。「むこうでも威張る子やいじめっこはいましたがひとりを寄ってたかって攻撃するというイジメの光景はなかった、(日本にもどってイジメの実態を知り)腹が立ちましたね」と。これは藤原が記事の中で言う「東大を頂点とした受験管理教育という名の“強制収容所”の密室で喘ぎ、心が病み、歪み、イジメ合うことでガスを抜くという自傷行為がくりかえされている」という指摘と私の起き抜けの意識の中で重なった。戦前戦中の日本では、差別される側にもさらに差別されるものたちがつくられるという二重三重の差別構造が生まれ、そのベクトルは下へ下へ、弱き者からより弱き者へ、とひたすらに突き進む構造をみせた。

米国民主主義の優等生国家の床下の闇で半世紀をかけて育ってしまった不可思議怪獣が、液晶画面からいま、むっくりと鎌首をもたげ、「子どもという集団の自傷行為」という形でなにやらおぞましい無言劇の開演ベルを鳴らし始めたのか。場内はふたたび暗転し、舞台上ではちいさな役者たちによる「えたいの知れないものを攻撃する」残酷なゲーム劇がはじまった。このニッポン国で続発するイジメとイジメ自殺は、子どもの登下校をICカードで監視しようがケータイを持たせて安心安全をこころがけようと、そうした小手先芸で解決できるようなシロモノでないことだけはたしかである。





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Last updated  2006.11.20 14:48:37
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