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カテゴリ:ことわざ
千里眼
北魏(ほくぎ・386年 ~ 534年、中国の南北朝時代の華北に建てられた王朝)の末期のことです。 名門の楊家の出身である楊逸(よういつ)という青年が光州(河南省コウ川県)の長官に任命されてやってきた。 二十九歳の好青年で、光州全体をみてまわり善政を行っていたらしい。 人々がうわさすることには、 「楊長官は、寝食もわすれるほどに仕事に没頭をしていらっしゃるそうだ。」 このような声が多く聞こえていたという。 兵士が遠征に出かけるときには、楊逸長官は雨の日であろうが雪の日であろうが姿が見えなくなるまで見送っていたという。 法令はきちんと行われるようにしていたが、かといって厳しすぎるということはなかった。 あるとき戦争が長引き、さらに飢饉が襲ってきたことがあり、飢え死にするものが出ていた。 このとき楊逸がとった行動は、政府の食料倉庫をひらき、飢えた人々に食料をふるまったのである。 係りの役人が中央政府にお伺いもしないで大丈夫だろうかと心配していた。 楊逸は、胸を張ってこう答えた。 「国のもとになるのは人民である。 その人民の命の灯をともすための食料なのだ。 人民あってこそ国が成り立つのである。 飢え死にさせてなるものか。 倉を開放せよ。 それで罪に問われるというなら 全責任を私が負うとしよう。」 こうして倉を開け放ち、食糧をあたえてまわり多くの人の命を救ったのである。 この楊逸には不思議な力があると人々は囁きあっていた。 それは「長官は千里眼を備えている」というものだった。 楊逸が光州の長官になってから、人々は以前と様子が違ってきたことに気が付いた。 新しい役人や軍人がやってくると、きまって賄賂を要求されたものだ。 やれ宴会だ、それ袖の下を出せときりがなかったのだ。 それが突然なくなり、それどころか手弁当持参でいさいかまうなということになったのである。 そうはいうものの以前のように、ここで恩を売っておけば後々のときに助けにもなろうと考えて接待しようとしても全然のってこないし料理にも口をつけないといった有様だった。 みんなは不思議に思い、そのわけを聞いてみた。 すると、口裏を合せたように、こういうのだった。 「楊長官は千里を見とおす眼(千里眼)をおもちなのだ。 ごまかすなんてとんでもないことだ。」 楊逸は、人民こそ国の礎だと考えていた。 なので役人どもが大きな顔をして好き勝手なことをすることが我慢できなかったのである。 楊逸がおこなったのは、州内の各地に部下を派遣しておき、役人や軍人の動きを監視させていたのである。 集めた情報を元に政治を行ったのである。 そうして遠く離れていることでも詳しく知っていたので、勝手な振る舞いが出来ずに役人たちは恐れていたのである。 あるとき人が楊逸にたずねた。 「長官はどうして何でも知っているんですか?」 楊逸は答えていった。 「千里を見通す目を持っているからだ」 これが「千里眼」のいわれである。 「広い視野で遠く離れた場所の出来事を感知し、先見の明で未来を予知する」能力を千里眼と呼ぶようになった。 だから、遠くのことまで見とおす力をもつことに使われる。 『魏書』楊逸伝 恐怖政治がしかれていた国では千里眼が当たり前だった。 それは密告しあうシステムが構築されていたからだ。 自分が生き残るためなら親兄弟でも簡単に政府に売り渡したのだ。 もはやこうなったら国も人もおしまいです。 やっぱ、お天道様のしたを堂々と歩きたいものです。 MOOSE教祖 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年07月31日 00時41分54秒
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