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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2014.02.18
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昨日に続いて大宮区三橋の石仏を紹介します。

阿弥陀堂 大宮区三橋3[地図]

DSC_0174.jpg

中央区円阿弥と三橋との境、新大宮バイパスのすぐ東、まどか保育園と
通りを隔てて西隣に阿弥陀堂がある。堂の前に六地蔵の小堂があり、
さらにその左に独立する形で不動明王の小堂がある。

DSC_0184.jpg

六地蔵 六体のうち顔の彫がしっかり残っているのは二体だけだった。

DSC_0185.jpg

右の台座には足立郡牛飼邑善男女講中、享和2(1802)と刻まれている。
中央の台座は下部が剥落している。百万?、念佛?、男女?と読める。

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六地蔵の左に六字名号塔 嘉永元年(1848)が立っている。徳本上人書体。
独特の書体で読みにくいが南無阿弥陀佛と彫られている。

DSC_0193.jpg

その左 納経廻國供養塔 天明5(1785)中央に奉納大乗妙典六十六部日本廻國
左右に日月清明、天下和順と刻まれている。

DSC_0194.jpg

小堂の奥の一角に石塔が集められている。

DSC_0195.jpg

右から六字名号塔 天保15(1844)中央に南無阿彌陀佛 右に信州善光寺別当
大勧進現住と刻まれる。浄土信仰の総本山善光寺ゆかりのものだろうか?

DSC_0196.jpg

奥の角の所に普門品供養塔 明和9(1772)普門品一萬五千部供養とある。

DSC_0198.jpg

個人の墓塔をはさんで一番左に立つのは順礼百番供養塔 弘化3(1846)
左側面に願主 到阿念西法子と刻まれている。

DSC_0180.jpg

阿弥陀堂から一度出てすぐ南の小堂に不動明王坐像 慶応2(1866)が
祀られている。焔光背が真っ赤にぬられていた。二童子を従えている。

天神社 大宮区三橋4[地図]

DSC_8321.jpg

新大宮バイパスの西、大宮西高の東約200Mの位置に天神社がある。
境内の隅、末社の隣に庚申塔の堂が見える。

DSC_8323.jpg

庚申塔 寛政8(1796)地名入り道標を兼ねた文字塔である。

藤橋東墓地 大宮区三橋4[地図]

DSC_8337.jpg

西区植田谷本から大宮区三橋に渡る藤橋の東の信号を北に入ってすぐ
道路の左側に墓地がある。塀の外に庚申塔 元禄3(1690)青面金剛立像
合掌型六臂が立っていた。長い年月を経たためだろうか青面金剛の顔も
三猿の顔もすりへっている。二鶏は見えるが邪鬼ははっきりしない。

DSC_8333.jpg

墓地に入ると如意輪観音坐像 元禄7(1694)があった。上部に念佛供養と
刻まれている。右の下には旧村名 側ヶ谷戸と彫られているようだ。
表の庚申塔とともに大変古い石仏である。





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Last updated  2014.02.18 21:03:22
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