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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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今日は板橋区徳丸の北東地域を見てみましょう。 徳丸7丁目交差点北住宅地角 板橋区徳丸7-18 松月院通りの徳丸7丁目交差点から北へ坂道を下ってゆく。二つ目の交差点で 右折してまた二つ目の交差点を左折。突き当りの左手の住宅の角、小堂の中に 庚申塔が祀られていた。脇の石板にその由来が刻まれている。それによると この庚申塔も明治10年と昭和52年、二度移動され現在に至っているらしい。 資料では徳丸7-19とあり、その情報を信じ切っていたため都合4,5回は無駄に 探し回ることになった。多分誤植なのだろうが、このブログの記載事項なども 誤記などが無いように十分注意しなければいけないと改めて考えさせられた。 なにかおかしなところに気づいたかたはご指摘いただけるとありがたい。 庚申塔 正徳2(1712)下の台の正面には比較的大きな三猿が彫られている。 古いもので文字が薄く読みにくい。少し斜めから写真を撮ってやっと確認できた。 正面上部に日月雲。梵字の下に「奉造立寶塔庚申供養成就所」左脇に造立年月日。 右脇に武州豊嶋郡徳丸村と刻む。塔の両側面は狭すぎてよく見えなかったが、 それぞれに数名の名前が刻まれているようだ。 徳丸7丁目交差点東路傍 板橋区徳丸6-50 松月院通り徳丸7丁目交差点の東、ひとつめの交差点を右折、すぐまた左折すると 左手住宅の前に庚申塔。脇にやはり解説の刻まれた石塔があった。この庚申塔も 昭和49年区画整理のためここに移されたものらしい。新しい住宅化の波の中でも 地域の人たちの力によってこういった文化財が保存されているのはすごいことだ。 これらの庚申講の活動は今でも続いていると言う。 庚申塔 宝暦2(1752)正面 日月雲 梵字「ウン」の下 青面金剛立像 合掌型六臂。 二鶏・邪鬼・三猿が揃う。腰を高く上げた邪鬼の姿がユニーク。青面金剛と邪鬼の 顔の表情がそっくりで面白い。全体に彫りは力強くはっきりとしている。 塔の右側面に造立年月日。脇に「奉造立庚申尊像一躰」と刻まれていた。 左側面には武州豊嶋郡徳丸村 講中十二人と刻む。青面金剛の横顔がかわいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.11.07 20:12:52
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