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カテゴリ:東京 板橋区の石仏
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板橋区前野町には熊野神社が二社あり、西方にある5丁目の熊野神社は西熊野神社、3丁目の熊野神社は東熊野神社と呼ばれているようです。今日は西熊野神社の石仏を見てみましょう。 西熊野神社 板橋区前野町5-35-2 前回紹介した不動堂のあった四つ角のもう一つ東の四つ角から南に向かって急な坂道を登ってゆくと左手に熊野神社があった。鳥居の奥にコンクリート造りの拝殿が見える。 拝殿の右奥にそれぞれタイプの異なった三基の庚申塔が並んでいた。 左 庚申塔 元禄11(1698)日月雲 青面金剛立像 六臂。前の左手にはショケラではなく羂索を持つ。 舟形の光背は右上が一部欠けているが、右脇は「奉(欠)供養庚申待二世安樂処結衆」左脇に造立年月日が刻まれている。顔のあたりが削れているようだがこれは人為的なものか? 下部には三猿だけが彫られていた。その三猿の下の部分には、読みにくいが数人の名前が刻まれている。 中央 庚申塔 天保7(1836)三基の中では一番新しいものだが、そのわりに風化が激しい。正面中央はその形から言って青面金剛立像と思われる。 塔の下部にはうっすらと三猿らしい姿が確認できる。その左上に見えているのは邪鬼の手ではないだろうか。 塔の右側面に造立年月日。左側面には講中二拾人と刻まれていた。 右 庚申塔 享保18(1733)日月雲青面金剛立像剣・ショケラ持ち六臂。駒形の比較的大きな庚申塔。ここでは一番きれいな状態を保っている。 目を吊り上げ正面をにらみつける青面金剛。後ろの二組の腕の付き方が以前見た「川口型」に似ているが、髪型、邪鬼の様子などは全く異なっている。 足の両脇に立派な二鶏を彫る。足下の邪鬼は正面向きで頭を踏まれていた。その下にはシンメトリックに三猿。バランスが取れた構成になっている。 三猿の彫られている面の左側面に年号。その裏面に講中とあり、続けて数人の名前が刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.12.19 19:59:43
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