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私家版 さいたまの石仏

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お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2018.05.28
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カテゴリ:東京 練馬区の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今日から「練馬区の石仏」シリーズです。練馬区も結構広いので、東部、中央部、西部に分けて、それぞれ北のほうから南に向かって見てゆきたいと思います。まずは東部から、今日は北町観音堂の石仏を見てみましょう。

北町観音堂 練馬区北町2-38


東武東上線の東武練馬駅南口から旧川越街道に出たところ、三角形の角地に観音堂があった。入り口から正面奥に観音堂の屋根が見える。それを守るように手前に一対の大きな仁王像が立っていた。


向かって左側の仁王像 天和3(1683)大きな丸彫り立像は力感もあり迫力十分。背中に造立年月日が刻まれていた。


奥のお堂の中、丸彫りの聖観音菩薩坐像 天和2(1682)高さ270センチメートル、練馬区内最大の石仏だという。


左手に未敷蓮華を持ち右手は施無畏印。像の裏は確認できないが武州河越多賀町隔夜浅草光岳智月参所、「奉新造正観音為四恩報謝也」続いて造立年月日が刻まれているらしい。


大きな蓮台の下、中央に卍を彫ったボリューム満点の敷茄子には近隣のたくさんの村の名前が刻まれていた。


観音堂の隣にもう一つお堂があり、中には丸彫りの馬頭観音坐像、これも迫力がある。頭光背を持ち三重の花弁の蓮台、重厚な敷茄子の正面には凝った彫りが施されていた。


三面六臂、三眼忿怒相、馬口印を結ぶ馬頭観音。頭上の馬頭もくっきりと、彫りも細かく優品と言えるだろう。残念ながら紀年銘などはなく詳細は不明だ。


旧川越街道沿いのなまこ壁の前に四基の石塔が並んでいた。


左から馬頭観音塔 明治30(1897)角柱型の石塔の正面「馬頭觀世音」両脇に造立年月日を刻む。


その隣 庚申塔 寛延3(1750)笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。右上と下部に剥落が見られる。三猿は二匹の頭部が破損。邪鬼も頭だけが残っている。


塔の右側面に造立年月日。左側面 豊島郡下練馬村上宿 講中四拾人と刻まれていた。



次の石像は難しい。色々調べてみると薬師如来という記述もあり、観音菩薩という見解もある。両手で支え持つ丸いものを薬壺として薬師如来というのだろうが、その衣装は観音菩薩にふさわしく、頭上にあるのが阿弥陀如来の化仏のようにも見え、そうなると観音菩薩とすべきだろう。もう一つ、光背上部に刻まれた梵字は勢至菩薩を表す「サク」である。勢至菩薩は阿弥陀三尊像で合掌した像を見るが独尊像はめったに見ない。観音菩薩の梵字「サ」と勢至菩薩の梵字「サク」の違いは右の点の有無だけなので、彫り間違いの可能性もある。大きな光背の右上は剥落。左脇に貞享3(1686)の紀年銘が刻まれていた。


右端 庚申塔 正徳4(1714)唐破風笠付きの角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。青面金剛の顔は風化のためかはっきりしない。足元のかたまりは邪鬼だろう。その両脇に二鶏。下部には大きくはっきりとした三猿が彫られている。


塔の右側面「奉造立青面金剛二世安樂所」願主は個人名。左側面に造立年月日。さらに武州豊嶋郡下練馬村 施主貳拾七人と刻まれていた。









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Last updated  2018.05.29 07:09:58
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