私家版 さいたまの石仏
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☆いたやま☆
自転車とカメラが趣味です。 さいたま市とその周辺の地域の石仏を紹介します。
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ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 高松の石仏の続きを見る前に、高松のすぐ西の谷原の石仏を先に紹介します。 谷原延命地蔵 練馬区谷原1-17 江戸時代、江戸をはじめ関東各地で大山参りが盛んになり、大山への参詣者が各地から通る道は「大山道」大山の先の富士参詣の道でもあることから「ふじ大山道」とも呼ばれた。練馬における「ふじ大山道」は現在の北町から春日町の愛染院の南を通り、そのまままっすぐに西に向かい、谷原を通り、石神井公園の北をまっすぐに保谷方面に向かう、現在の「富士街道」になる。前回見た、光が丘第二中学校南の馬頭観音のあったところから南へ200mほど進むと、この富士街道の交差点に出る。この交差点を右折して200mほど先の三差路に小堂が立っていた。小堂の前の立て札に、はしど(現在の大泉学園付近)道、ふじ大山道とあり、ここがその分岐点だったことがわかる。 小堂の中 地蔵菩薩立像 安永4(1775)錫杖・宝珠を持つ丸彫りの石地蔵。大きな欠損もなく、蓮台、敷茄子、角柱型の石塔と揃い、どっしりとした存在感がある。 角柱型の石塔の正面中央に「念佛講中 二十人 惣村中」右脇に武州豊嶋郡谷原村、左脇に造立年月日が刻まれていた。 塔の右側面には右 はしど道、左側面には 左 たなし道 大山道 と刻まれていて、道標を兼ねていたことがわかる。 大山道谷原変電所西交差点 練馬区谷原1-9 富士街道をさらに300mほど進む。谷原の交差点が見えてくるあたり、道路左側の交差点の角のところに石塔が立っていた。 道標。石塔の表面は風化が著しい。正面の文字はほとんど読めないが、文字数が五文字のように思え、「馬頭觀世音」かなぁとあてずっぽうに思ってみる。左下に二丁と見えるがその上の地名?は解読できなかった。 塔の左側面はやはり風化の為、銘などは確認できない。右側面だけはいくらか読める状態だった。右のほうから 西 田無宿 二里、府中宿 三里?東 練馬宿、くらいだろうか。以下はうまく読めない。 下の台の正面にかなり大きな文字が彫られていた。頭の部分しか見えないが、これを掘り出せばこの石塔の正体がわかるかもしれない。江戸時代後期、道標を兼ねた馬頭観音塔あたりだとしっくりくるが、果たして・・・ 大山道谷原交差点東住宅前 練馬区谷原1-11 さらに谷原方面に進んですぐ右側の住宅の外構の一角に石塔が立っていた。 馬頭観音塔 明治年間造立。角柱型の石塔の正面「馬頭觀世音」 塔の左側面に施主とあり四代目 上原定五郎。代々同じ名前を名乗るほどの家だったのだろう。 塔の左側面下部に明治とだけあり年月日は確認できない。裏面に大東亜戦移転破損。現在の塔は七代目が再建したもののようだ。
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