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私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2018.11.04
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カテゴリ:東京 練馬区の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

石神井町の3回目は、豊島八十八ヶ所霊場第70番、禅定院の石仏です。

禅定院 練馬区石神井町5-19-10


旧早稲田通りの豊島橋交差点の北側に禅定院の入口があった。ただ、この山門はいつも閉まっていて、境内にはその西にある参道門から入ることになる。駐車場?を抜けて庫裏の前に出ると竹垣で囲まれたスペースに石塔が並んでいた。


左から織部灯籠 寛文13(1673)一説に隠れキリシタンと関連があり「キリシタン灯籠」とされるが定説とは言えないらしい。火袋もないがなぜか灯籠とされる。上部の独特の形は十字架をデフォルメしたものとか、中央のくぼみの中に胸の前で手を合わせるスカート姿の長身の女性らしい像を浮き彫り、これも聖母マリア様を思わせ、やはりどこか「キリシタン灯籠」らしい雰囲気は感じられる。


塔の背面に銘があるがかなり薄くなっていた。中央に「奉□供養石燈籠為惣檀那逆修菩提也」上部両脇に造立年月日。下部には導師二名、願主二名の名前が刻まれている。


中央あたり 六地蔵菩薩六面石幢 享保9(1724)素朴な笠を持つ石幢の六面に六地蔵菩薩立像を浮き彫り。一部は庭木に隠れて全部の面を確認することは難しい。


四角い台の正面、右から武州下石神井村、「奉造立地蔵菩薩 講中二世安樂」左端に造立年月日が刻まれていた。


庫裏の奥の本堂の前あたり、山門近く、大きな基壇の上に宝篋印塔 安政6(1859)が立っている


屋根型の笠を持ち、全体に凝った装飾が施された豪華な宝篋印塔。


二段になった台の四面に細かい字でおびただしい数の人の名前がきざまれていた。


鐘楼の前に弘法大師像 明治32(1899)背中に笠、右手に杖、左手に数珠を持ち、行脚中に休息をとられるお姿だろうか。


鐘楼の脇に地蔵菩薩坐像 宝暦12(1762)隣の石塔に「いぼ神地蔵」とあった。


お地蔵様は定印を組み蓮台の上にゆったりと座る。台の正面中央 梵字「カ」の下「南無阿弥陀佛」右脇に三界万霊。左脇に先祖代々聖霊 志童女菩提。右側面に造立年月日。左側面には施主 江戸新橋井筒屋長兵衛と刻まれていた。


いぼ神地蔵から東に進むとその奥が墓地になる。入口からまっすぐ正面に丸彫りのお地蔵様が立っていた。


地蔵菩薩立像 享保14(1729)全身を白カビが覆いつくしている。首に補修痕があり、目鼻もはっきりしない頭部はあとから補われたものだろう。錫杖宝珠ともにその一部が欠けていた。


台の正面中央 梵字「カ」の下「奉建供養地蔵菩薩」右脇に造立年月日。左脇に武州下石神井村。


台の右側面 願主個人名。続いて右 はしとミち。左側面に講中二十七人。奥に左 ほうやミち。このお地蔵様は路傍に立って道標の役割を果たしていたのだろう。





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Last updated  2020.02.17 09:50:58
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