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カテゴリ:酒井 正 石仏画の世界
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21P目、南区太田窪の天満宮境内の庚申塔 元治元年(1864)幕末も押し詰まったころの造立。酒井さんのメモにもあるが、三基の塔が1セットで、こちらはその中心になる塔。22P目に残りの二塔が紹介されている。 駒型の石塔の正面 青面金剛立像 合掌型六臂。炎付きの輪光背を持ち、髑髏の首飾りをした三眼の青面金剛。上部には日月雲はなく「藤原庚申」と刻まれている。足元には大きな邪鬼が寝そべっていた。 22P目に後ろの二基の石塔。駒形の石塔の正面、上部に「藤原庚申」とあり、その下に御幣を肩に担いだ猿を浮き彫り。造立年は三基とも元治元年になっている。 県道35号線 産業道路の南浦和駅入口交差点から200mほど南を右折、細い道を道なりに進んだ先に新田自治会館(南区太田窪2236)があった。同じ敷地内に天満宮がある。 天満宮の右奥に境内社が二つ並び、左の社の前に三基の石塔が建っていた。 前の庚申塔。ところどころ白カビがあるが、幕末の造立、その彫りは技巧的で細かい。全体のバランスを見ると邪鬼の下、塔の一部は土の中に埋まっているようにも思える。上部に刻まれた「藤原庚申」というのはここでしか見たことがなく詳細は分からない。越谷あたりを取材したときに「藤原様」とか、「藤原信仰」というものがあった覚えがあるが、なにか関連があるのだろうか? 後ろ左の庚申塔。やはり上部に「藤原庚申」とあり、その下に御幣を肩にした羽織姿の猿の坐像が彫られている。 後ろ右の庚申塔。左と同じような構成だが、こちらは坐像ではなく駆け出しそうな様子、まるで飛脚のように見えた。前の青面金剛像塔の左側面に「奉納三躰造立」とあり、この三基の庚申塔は1セットと考えられる。 三基の後ろの社の中、扉の格子の間から覗いてみると、ここにも庚申塔が祀られていた。庚申塔 元禄8(1695)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。三眼・忿怒相の青面金剛は目を吊り上げてにらみつける。全体の写真は撮れなかったが、江戸時代初期の庚申塔、さほど風化も見られず比較的美しい状態を保っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.05.29 05:27:13
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