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カテゴリ:酒井 正 石仏画の世界
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![]() 18P目は西堀にある阿弥陀堂の地蔵菩薩立像。紀年銘等不明となっている。 ![]() 浦和工業高校あたりからまっすぐ東へ向かう「別所沼通り」西堀郵便局のある信号交差点から200mほど先を左に折れて北へ進むと左手に阿弥陀堂の入口がある。(桜区西堀6-3-41) ![]() 入口の左脇にスケッチのお地蔵さまが立っていた。像は風化が進み白カビも目立つ。下の台に紀年銘などは見当たらず、造立年など詳細は分からない。頭部のあたり、なにやらおかしな感じだ。 ![]() 近づいてみると右肩がそっくり欠けていた。どうやら頭も後から補われたもののようで、大きさもバランスが悪く、また座りもよくない。 ![]() 背面に凸型の穴が開いていた。酒井さんが指摘されている通り光背の取り付け穴なのだろう。こんな形で目にすることは滅多にない。 ![]() 入口の右脇 地蔵菩薩坐像 宝永7(1710)台も像もカビに覆われている。丸彫り像だが錫杖、宝珠ともしっかりと残っていた。頭の形が妙に長くてユニーク。下の石塔部正面中央に「奉造立地蔵尊二世安樂」下部両脇に西堀村 講中と刻まれている。 ![]() 入口から境内に入ってすぐ目の前、比較的新しい六地蔵が並び、その左脇には角柱型の石塔が立っていた。 ![]() 四國移霊場標石 天明8(1788)正面上部を舟形に彫りくぼめた中に地蔵菩薩立像を浮き彫り。その下に造立年月日を刻む。さらに願主一名の名前。 右側面には大きく「南無遍照金剛」続いて与野領 西堀村と刻まれている。 ![]() 左側面、中央に大きく足立八十八ヶ處 第二十五番長福寺。その右脇に土佐國津寺移。四国25番札所は津照寺(通称津寺)である。左脇には本尊十一面観世音。続いて裏面に元宿花蔵 三丁の文字が見えるが、南元宿の華蔵寺を指すのだろう。24番は近くにある医王寺で、山門右にこの標石とそっくりな標石が立っていた。華蔵寺は26番だったのかもしれないが、残念ながら今は廃寺になっていて、残された墓地にはそれらしい標石は見当たらない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.06.25 20:23:21
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