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カテゴリ:酒井 正 石仏画の世界
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34P目 桜区新開 真光寺の宝篋印塔 文化3(1806)酒井さんは光明真言供養塔として紹介している。 観音菩薩編の15P こちらの三基の馬頭観音塔が取り上げられていた。いつものことながら酒井さんは細かいところまでしっかり確認されている。 志木街道の田島交差点の一つ西の交差点から北へ向かう新開通り、新開橋を越えた150mほど先、道路左側に真光寺の入口がある。境内南側が墓地になっているが、その入口右脇に六地蔵、左脇にスケッチの宝篋印塔が立っていた。 大きな基壇の上に二段の台、敷茄子、蓮台の上に基礎、四面に梵字を刻まれた塔身部、屋根型の笠を持ち、高さは2.5mほどになる。線香立てのもうけられた面が正面と思って近づいてみると・・・ その右の面がスケッチの正面になっていた。基礎を浅く彫りくぼめた中に「光明真言供養塔一千萬遍」上のほうの台に「光明真言講中十方施主」ということで宝篋印塔の形をとった光明真言供養塔になる。 基礎の右側面と左側面に渡って「宝筐印陀羅尼曰・・・」で始まる経文?を刻み、裏面には造立年月日と供養導師として安養山円乗院住職の名前が刻まれていた。台のほうの左側面に當村 發願主とあり二名の名前、続いて世話人 村中。台の裏面には与野の石工の名前が刻まれている。 入口の左手、ブロック塀の前にたくさんの石塔が集められていた。ひとつひとつ確認したわけではないが、ざっと見たところ講中仏は見当たらない。 入口右手のブロック塀の前、疱瘡神を祀った祠の向こうに五基の石塔が並んでいた。 庚申塔 享保11(1726)宝珠をのせた唐破風笠付の角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。下の台の正面に新開村 講中十四人 願主一名の名前が刻まれている。 頭の上で蛇がとぐろを巻き、腕にも蛇が絡みつく。むっとした顔で正面を見据える青面金剛。下部は白カビが目立つが彫りはしっかりしていて、全体の構図もバランスが取れている。 塔の右側面に「奉造立庚申待供養」左側面に造立年月日。その脇に武州足立郡与野領新開村と刻まれていた。 その隣 大きな笠を持つ陀羅尼経供養塔。酒井さんのスケッチの左上に描かれていた石塔。紀年銘は見当たらず詳細は不明。 その奥に並ぶのが三基の観音菩薩塔。酒井さんのスケッチとは並び順が逆になっていた。右から宝暦6(1756)、嘉永元年(1848)、明治33(1900)の造立。iいずれも個人のものらしい。江戸時代初期に見られたような立派な馬頭観音像塔は徐々に姿を消し、江戸時代後期から明治時代以降、馬の供養塔としての意味合いが強まり文字塔に移行してゆく、その過程を見るようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.11.02 20:21:58
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