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カテゴリ:酒井 正 石仏画の世界
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![]() 38P目 南区大谷口の旧安楽寺墓地の阿弥陀三尊像 文化10(1813)「善光寺念佛」と刻まれた石塔の上に堂々たる阿弥陀三尊立像。阿弥陀如来は右手施無畏印、左手与願印の来迎印を結ぶ。 ![]() 観音菩薩編の18P目 聖観音菩薩立像 延宝4(1676)板碑型の石塔の正面を彫りくぼめた中に美しい聖観音菩薩を浮き彫り。細かい文様もきれいに描かれている。 ![]() さらに納経供養塔編の11P目にこちらの大乗妙典供養塔 享保17(1732)が紹介されていた。宝珠を持った唐破風笠付きの角柱型の石塔の正面に「奉納大乗妙典六十六部塔」台には「万人講」と刻まれている。 ![]() 第二産業道路の大谷口陸橋交差点から南へ150mほど進み、左折して狭い道路に入ってゆくと左右両側に墓地が広がっていた。 ![]() 道路右手の墓地の入口近く、雨除けの下にスケッチの観音菩薩塔が立っている。 ![]() 聖観音菩薩立像 延宝4(1676)江戸時代初期には板碑型三猿庚申塔など今までよく見てきたが、板碑型の墓石も一般的で、こちらも右脇に個人の戒名が刻まれていてやはり墓石のようだ。墓石ではふつうは文字塔が多く、このように中央に観音菩薩像を浮き彫りしたものはあまり見かけない。石塔上部に天蓋、下部に牡丹の花を彫り、両脇につる草模様をほどこすなど、とても凝った仕事がされていた。 ![]() 風化のために銘は薄くなり読みにくい。像の右脇に戒名、左脇に紀年銘と施主名が刻まれている。六角形の台の上、丸い敷茄子、蓮台の上に立つ聖観音菩薩。胸元で両手を合わせているようにも見えるが、左右の手の位置にずれがあり、左手に持った小さな未敷蓮華に右手を添えている形だろうか?尊顔はあいまいだが全体に気品がある。 ![]() 坂道を上がって道路左側の墓地の入口、ブロック塀の前に石仏が並んでいる。右端がスケッチの大乗妙典供養塔だった。 ![]() 大乗妙典供養塔 享保17(1732)石塔全体を白カビが薄く覆っている。 ![]() 塔の右側面に造立年月日。左側面には大谷口村とあり、願主二名の名前が刻まれていた。 ![]() 墓地の奥のほう、雨除けの下に阿弥陀如来三尊像。台の上の石塔部、その上に蓮台を乗せ、さらにその上、舟形光背に阿弥陀三尊像を浮き彫り。 ![]() 小鼻の張ったちょっとユニークな顔立ちの阿弥陀如来。両脇のひとまわり小さな観音菩薩、勢至菩薩の両脇侍はひじの部分が光背からはみ出している。三尊の足元を見ると蓮台に直接乗っているのではなく、それぞれが臼のような形をした台の上に乗っていた。 ![]() 石塔の正面中央に「善光寺念佛」上部両脇に建立供養とあり、さらに下部両脇に造立年月日が刻まれている。塔の左側面に願文、右側面に講中 四十八人、その脇に三年三月とあるが、これはなんのことだろう?続けて願主 三名の名前が刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.11.03 19:28:54
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