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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2023.11.05
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今日は林光寺と植田谷霊園の石仏です。

林光寺 西区植田谷本504​[地図]


林光寺は鴨川右岸、植水小学校の東にある。今年の四月に訪問したときは10年前と変わらず、入口両脇に石仏が立っていた。(23年4月2日撮影)


ところが8月に再訪してみると、二基の石仏は影も形もない。(23年8月12日撮影)どこに移動したのだろうか?寺標のたつ入口から長い参道の先に朱塗りの仁王門が見える。さらにその先にまた山門が立っていた。


奥の山門をくぐり、境内に入ってすぐ右手に立派な鐘楼がある。その裏に二基の石仏は並んでいた。


手前 地蔵菩薩立像 正徳3(1713)大きな四角い台の上、台形の敷茄子と厚い蓮台に丸彫りの地蔵菩薩立像。欠損はないが尊顔は白カビもありいまひとつはっきりしない。


敷茄子の正面「三界萬霊 有無兩縁」その両脇の銘は薄くなっていてうまく読めなかった。


台の正面に近隣の一町十七村、左側面にも三つの村の名前が刻まれている。


地蔵菩薩像の背面中央「奉造立地蔵菩薩聖容一軀自他法界二世安樂攸」右脇に武州足立郡植田谷本村講中男女七十余並本願善宥。左脇に造立年月日が刻まれていた。


その隣 四国移霊場標石 文化7(1810)四角い台の上の角柱型の石塔の正面、上部を舟形に彫りくぼめた中に弘法大師坐像を浮き彫り。その下に阿波國十樂寺移「足立八十八ヶ所第七番」林光寺。左下に第八番江十丁と刻まれている。


台の正面に金三分 當所助力、銀貳朱 小嶋氏、金貳分 観音講中、金貳分二朱 光明講中と刻まれていた。


塔の右側面に造立年月日。下部に供養導師 法印寛誉。願主薬師堂西順。


左側面 梵字「アーンク」の下に「奉讀誦普門品十万巻 光明真言百万遍 供養塔」


下部に観音講中 光明講中と刻まれている。


境内左側、墓地の入口に廻国供養塔 安永5(1776)が立っていた。角柱型の石塔の上に丸彫りの坐像、弘法大師だろうか?


石塔の正面「奉納大乗妙典日本廻國供養」両脇に天下泰平・國土安全。下部両脇に造立年月日が刻まれている。


本堂左手前、大きなイチョウの木の下に宝篋印塔 明和元年(1764)が立っていた。


塔身四面に四つの種子。基礎正面には「一切 如来 全身舎利之塔」調べてみると、「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」が宝筐院陀羅尼を収めた宝塔の御利益を説くものらしい。


基礎左面 導師 林光寺住法印本洋。その横に爲 法印尊岸、法印覺傳。先師の供養塔ということだろうか。


裏面にはただ法華経百部とだけ刻まれていた。宝篋印塔という形をとるが、大乗妙典供養塔であったり、いろいろな供養塔でもありうるようだ。この場合は法華経供養塔でもあるということだろうか。


基礎の右面 願主として中ノ林村観音寺住 無□、本村 作右衛門と僧俗二名の名前が刻まれている。続いて造立年月日が刻まれていた。

植田谷本霊園 西区植田谷本711南​[地図]


大宮南高校の100mほど北の道路沿いにある植田谷本墓苑。10年ぶりにきてみたら最近整備されたらしく、ブロック塀で囲まれてすっかりきれいになっていた。そのブロック塀のくぼみの中に小堂が立っている。


小堂の中 庚申塔 元禄16(1703)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。全体に風化が進み溶けだしていた。持物は十字の武器?法輪・弓矢。


足元に邪鬼。やはり顔が破損。首のあたりと背中を踏まれ足を跳ね上げている。その下に朱面向きの三猿。


右手の剣は溶けてしまったか?ショケラの体は原型をとどめず足だけが残っている。腰にはドクロのベルトだろうか?塔の左側面に造立年月日。その横に植田谷領本村。


右側面「奉供養庚申像二世安樂」奥に武刕足立郡 講衆、下部に数人の名前が刻まれていた。





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Last updated  2023.11.05 19:59:48
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