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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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今日は中野林、大宮光稜高校の西の地域から、観音寺霊園の石仏と路傍の庚申塔です。 観音寺霊園 西区中野林476[地図] 大宮光稜高校の100mほど西、住宅街の中に墓地があった。アプローチは難しく、西の細い道路から路地に入って奥の入口にたどり着く。 墓地にはいりお堂の脇を通って進むと、動線に三基の石塔が並んでいた。写真奥のブロック塀の裏に「観音寺駐車場」の看板がかかっていて、こちらは観音寺の境外墓地らしい。 右 地蔵菩薩立像。白カビが多く、顔もはっきりしない。薄い台の上に角柱型の石塔。その上に地蔵菩薩塔だが、遠目にその足元のあたりがなんだかおかしい。 地蔵菩薩像は蓮台ではなく敷茄子の上に立っていて、その敷茄子の正面に蓮の花びら?が浮き彫りされていた。これは初めて見るケース。 角柱型の石塔の正面「念佛講中」右脇に施主禅久、左脇に教誉念西。僧名だろうか?その下の薄い台の正面にも銘が見えるが読みにくい。中央は「施主村中」だろう。その右のほうに宝暦のように見えるが確証はない。いずれにしても江戸時代中期の造立と思われるが・・・ 塔の両側面の銘も難読。左側面右上に飯田新田とあり、その横に三名の名前。右下に當村とあり八名の名前。 右側面はさらに隙間が狭いため四苦八苦、手前から新田村中、八王子村、三条町村、嶋根村などの銘をやっと確認することができた。 隣の丸彫りの地蔵菩薩塔は銘らしきものはなく詳細不明。左の石塔は全体に風化が著しく進みこちらも銘はまったく見当たらない、正体不明塔である。 観音寺霊園北路傍 西区中野林483近く[地図] 観音寺霊園の北の畑の隅、雨除けの下に石塔が東向きに立っていた。 庚申塔 安永7(1778)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。小型だが像のバランスはよい。 丸顔の青面金剛。頭上には蛇だろうか?持物は矛・法輪・弓・矢。こちらはノーマル。 足元付近に白カビが積もり、経年による風化もあって下部ははっきりしない。邪鬼らしいものはなんとか見える。青面金剛の右足は邪鬼の頭部、左足は腰のあたりを踏んでいるようだ。邪鬼の下のでこぼこしている部分、もしかしたら三猿かもしれないが、そう言い切るだけの自信はない。 塔の右側面 武州足立郡植田谷領 三条町村。 左側面に造立年月日。その下に二名の名前が刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.11.10 15:40:28
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