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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2023.11.13
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中野林の北、飯田の石仏を見てみましょう。

県道56号線飯田交差点角 西区飯田79​[地図]


水判土から治水橋方面へと向かう県道56号線の飯田交差点、北東の角に三基の石塔が並んでいた。後ろのクリーム色の建物は飯田自治会館。右手奥に足立神社がある。


右 石橋供養塔 宝暦6(1756)角柱型の石塔の正面 「石橋供養塔」右脇に造立年月日。その下にある名前は施主だろうか?左脇に武刕足立郡植田谷領飯田村中。


塔の右側面、狭くて詳しくは読み取れないが近隣十数ヶ村の名前が刻まれている。


左側面奥に念佛講中 二十八人。右下に願主 念正、飯田村貞久と刻まれていた。


中央 庚申塔 元禄2(1689)笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


横幅がせまく空間に余裕がないためか蛇冠の青面金剛はなんとなく狭苦しい。右枠の部分に「奉造立庚申供養二世菩提也」二世安樂ではなく二世菩提というのは珍しいだろう。上左手は法輪ではなく蛇をつかんでいた。


足元にカエルのように這いつくばる邪鬼。その下に邪鬼と同じくらいのサイズの三猿が彫られている。このあたりもやはり狭苦しい。


塔の左側面に造立年月日。右側面には武刕足立郡植田谷領飯田村施主と刻まれていた。


左 大乗妙典六十六部供養塔 安永6(1776)角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「バク」の下に「奉納大乗妙典六十六部供養塔」両脇に天下泰平・國土安全。右下に願主 廻國行者。左下に鷲峯園住禅定門。


塔の右側面、上部に偈文、中央に造立年月日、下部に施主 渡辺□□ 自邑中と刻まれている。


左側面は狭くカメラもうまく使えないため、銘の確認が難しかった。上部に四つの戒名が並び、その下に二ツ宮邑 中野林邑 本邑 三条町邑、下部に五名の名前が刻まれている。

光善寺墓地 西区飯田341​[地図] ​​


県道56号線飯田交差点から西へ400mほど、押しボタン信号交差点を左折すると光善寺墓地の入口があった。


墓地に入ると石塔が南向きに並んでいる。左端 庚申塔 正徳3(1713)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


像の両脇に造立年月日。風化のために年号は一部欠けているが、干支からみても正徳3年で間違いない。青面金剛の顔の近く、両脇に天下泰平・國土安全と刻まれていた。


足の両脇に比較的大きな二鶏。足元の邪鬼は貧弱、頭を向かって右に横たわる。その下に両脇が内を向く構図の三猿。さらにその下の部分、右端に飯田村とあり、続いて11名の名前が刻まれていた。


その隣 阿弥陀如来立像 宝永5(1708)舟形光背に来迎印を結ぶ阿弥陀如来像を浮き彫り。光背右脇に喜屋 浄住。左脇の紀年銘が七月二日、こちらは命日と思われ、どうやら墓石らしい。光背右下に飯田村と刻まれている。


続いて不動明王立像 寛文8(1668)舟形光背に剣と羂索を持った不動明王を浮き彫り。上部に炎を線刻。両脇に僧の戒名と命日。右の清和は私年号だろうか。下部両脇に飯田村、大久保村と刻まれていた。


その隣 丸彫りの地蔵菩薩立像 正徳3(1713)白カビは多いが補修跡もなく尊顔は優美。


厚い敷茄子に銘が刻まれていた。敷茄子右奥に造立年月日。その横に飯田村。


敷茄子にぐるりと名前らしき銘が見える。正面近くには施主 村女中西入。西入は地名か?読み違いか?


その隣 六地蔵文字塔 明治34(1901)地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上 六道を担当するお地蔵様の名前が並び、その上にそれぞれを表す梵字が刻まれていた。





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Last updated  2023.11.24 04:52:22
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