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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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飯田、中野林の西は二ツ宮です。治水橋あたりまでの広い地域、今日は二ツ宮交差点付近三か所の石仏を見てみましょう。 西善坊跡地蔵堂 西区二ツ宮553[地図] 県道56号線、前回見た光善寺墓地近くの押しボタン信号交差点から100mほど西、左折して路地に入ると右手の畑の中に小堂が立っていた. 「西善坊」という看板の掛かった小堂の中 地蔵菩薩塔 元禄7(1694)四角い台の上、丸彫りの地蔵菩薩像。奥に小さな地蔵菩薩塔と板碑が並んでいる。 ほっそりとした印象のお地蔵様。補修跡も欠損もなく美しい。尊顔はクール。うっすらと口紅? 台の正面に銘が刻まれているが、賽銭箱のために確認できない。左端がかろうじて見えていて、元禄七と刻まれていた。 奥に地蔵図像板碑 応永2(1395)彫りは薄く風化のために摩耗が進む。うっすらと輪光背を負った地蔵菩薩像。室町時代の造立という。 阿弥陀堂 西区二ツ宮446[地図] 島根交差点から治水橋へ向かう県道57号線と、水判土交差点から西へ進む県道56号線が合流する二ツ宮交差点の北側にある阿弥陀堂墓地。その入り口右脇に石塔が並んでいる。丸彫りの地蔵菩薩塔 弘化4(1847)は住職の墓石だった。 その右 六地蔵六面石幢。笠付きの石幢の六面にそれぞれ地蔵菩薩立像を浮き彫り。正面のお地蔵様の頭上に梵字「カ」地蔵像は比較的大型で、各面に銘は見当たらない。 台の正面の銘は右から「奉」「蔵大」「二世」だけが見えている。勝手に補ってみると「奉造立六地 蔵大菩薩爲 二世安樂也」だろうか。台はかなり深く埋められているようだ。 台の左側面 右は「足」でその上は「大」に見えるが石の傷か?中央に「講中」左に「女中」足立郡植田谷領二ツ宮村、講中□人、女中□人。その左の部分か塔の左側面に造立年月日が刻まれているのかもしれないが、いずれにしても土の中で確認は難しい。 阿弥陀堂裏住宅前 西区二ツ宮445[地図] 阿弥陀堂の西の道を北に入るとすぐその先で道は二つに分かれる。阿弥陀堂墓地のブロック塀に沿って右のほうの狭い路地を進むと、左手の住宅の前のブロックの小堂の中に四基の石塔が並んでいた。 左から庚申塔 宝暦5(1755)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に青面金剛立像 合掌型六臂。白カビはなく比較的美しい状態を保っている。上部に日月雲を伴わないのは珍しい。 ほっそりとした印象の青面金剛、荒々しさは感じられない。矛・法輪・弓・鏑矢を持つ四本の手は肩のあたりから出ていた。 足元に顔だけがやけに大きな異相の邪鬼がうずくまる。その下に両脇が内を向く三猿。二鶏は見当たらない。 塔の左側面に造立年月日。右側面中央に「奉造立青面金剛諸願成就所」下部右脇に講中女中拾二人、左脇に助力村中女中と刻まれていた。 その隣 庚申塔 元禄9(1696)宝珠を乗せた大きな唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。こちらも白カビがほとんど見られない。 蛇冠・三眼・ドングリまなこで口をへの字に男性的な印象の青面金剛。後ろの二組の腕が川口型のようにH型になっていた。 足の両秋に二鶏を線刻。大柄な邪鬼が背中を踏まれている。その下の三猿も邪鬼に負けず劣らずなかなか体格がよい。 塔の左側面に造立年月日。下部に「敬白」右側面には「爲庚申二世安樂也」続けて武刕足立郡植田谷領二ツ宮村。その左脇に惣施主と刻まれていた。 続いて地蔵菩薩立像 正徳3(1713)反花付きの台に敷茄子・蓮台の上に丸彫りの地蔵菩薩像。赤い衣装の中をのぞくと、錫杖、宝珠もきれいに残り、首の補修跡もなかった。 敷茄子にぐるりと多くの名前が刻まれている。おせん、おまん、など女性の名前が多い。台の正面右から二ツ宮村 講中、左のほうに造立年月日が刻まれていた。 右端 馬頭観音塔 明治35(1902)角柱型の石塔の正面に「馬頭觀世音」左側面に願主は個人名。右側面に紀年銘、こちらは命日と思われる。こちらの四基の石塔はいずれも白カビもなく保存状態がとても良い。管理するかたが大事にお世話されてきたということだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.11.15 19:39:13
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