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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2023.12.09
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ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今日は西遊馬の石仏の最終回です。

仲野自治会館 西区西遊馬1348​[地図]


県道2号線、指扇駅入口交差点から川越方面に進み、JR川越線を越える100mほど手前を斜め左に入る。この道はやがて荒川の土手道へ上ってゆくことになるが、その途中道路右側に仲野自治会館があった。会館手前に立つ稲荷神社の石鳥居の右脇、ブロック塀の前に石仏が並んでいる。


右から 庚申塔 安永5(1776)四角い台の上、駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。白カビが多く、風化も進む。


青面金剛の顔の様子などはよくわからない。持物は矛・法輪・弓・矢。ショケラは足を折り曲げて青面金剛の腰のあたりにすがりつく。


足の両脇になんとか二鶏を確認。足元の邪鬼はライオンのような形。三猿は台の正面のほうに彫られていた。


塔の右側面、中ほど右端に願主 講中とあり、その下に二段に渡って12名の名前。


左側面 厚い白カビの中、右に造立年月日、中央に「庚申供養塔」左に中野助力中善男女と刻まれている。


その隣 念仏供養塔 元文2(1737)大きな四角い台、反花付き台の上、樽型の石塔を乗せ、その上には正面に花の彫刻を施した敷茄子、厚い蓮台を重ねて・・・蓮台のくぼみの中に仏頭だけが置かれていた!10年前初めて見たときはその異様な光景に驚いたものだ。下の台から蓮台まで150cmあまり、もし地蔵菩薩像が健在なら250cmほどの堂々たるものだったろう。


樽型の石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「奉納念佛供養」両脇に造立年月日。右に武刕足立郡、左端に遊馬新田。


右側面にひらがなで8名の名前。左側面にもやはりひらがなで8名の名前が刻まれていて、合わせて女人講中16名と思われる。


さらに六地蔵が並ぶ。ただし右端の地蔵菩薩塔は明らかに異質で、もともとの六地蔵に欠員が出来て代用されたものだろう。他の五体は像もその下の部分もよく揃っていた。銘は見当たらず詳細は不明。


六地蔵の左のあたり、よく見ると破損した石仏の一部と思われるパーツが二つあることに気が付いた。写真左の大きなほうは丸彫りの地蔵菩薩像の肩から膝の部分、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。写真右の小さいほうはその下部、膝から足の部分で左手の袖が残されている。さっきの念仏供養塔の主尊だった地蔵菩薩像の残欠と思われるが、なんとか補修はできないものだろうか?


荒川堤外八坂神社 西区西遊馬2390付近​[地図]


県道2号線、西大宮バイパスのICの手前、バス停のあたりを左に入り堤を越えて左下に下りて道なりに進んでゆくと、道路左手の塚の上に鳥居とお堂が立っていた。


看板に庚申社と書かれた小堂の中 庚申塔 宝暦13(1763)四角い台の上の唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


日天月天を乗せた瑞雲はつながっている。三眼・吊り目の青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢。


足元の邪鬼は、両腕を折り曲げ大きな顔を正面に向ける。まるで「顔面おばけ」だ。


台の正面中央に烏帽子をかぶり、羽織を着て、右手に扇子を手にした猿が彫られていた。一猿、二猿はたまに見るが、このいでたちの猿は相当珍しい。その両脇に二鶏を浮き彫り。雄鶏、牝鶏、一猿いずれも左を向いている。


塔の左側面に造立年月日。右下に高木郷中、左下に個人名。


右側面 天下清平 國家快樂。右下に善男善女、左下に如意安全と刻まれていた。

これで西区の最南端、島根から西のほうを北上して国道16号線まで見てきました。この先の北の地域は、西の宝来から東へ進んで最後は西新井・内野本郷までまとめて見てゆきたいと考えています。その前に、ここまでやり残した東の地域、南のほうから三橋、宮前、指扇と進みます。ということで次回は三橋の石仏の予定。よろしくお願いします。






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Last updated  2023.12.30 05:01:40
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