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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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前回、西遊馬で相ついで「無食供養塔」に出会いましたが、いままで他ではほとんど見たことがありません。「無食供養塔」ってなんなんだろう?と思っていたら、酒井さんからいただいた多くの資料の中に『是心と無食供養塔』(指扇郷土史同好会 諸橋 一久)という題の小冊子をみつけました。今日はその小冊子から紹介いたします。 「無食供養」とは、毎月定められた日に食を断って念仏を唱え、これを三年三ヶ月怠ることなく行えば必ず成仏することができるとした特殊な念仏供養である。一代に一度だけ行うだけでご利益があるという、庶民にとって簡単で実行しやすい行法とされる。修験道色の強い民間信仰で、室町中期から和泉葛城山系を中心とした和歌山県、大阪府、奈良県に始まって、時代が下がると長野県、埼玉県に伝播した。無食供養塔は和歌山、大阪で100基以上、埼玉県では合計13基。そのうち旧大宮市だけで10基を数える。 小冊子の題名にある「是心」は江戸時代初期に宝来地区に入植した家の女性で、ご主人と二人の子供を相次いで失い仏門に帰依、在家出家し「十誉是心」の法名を受け、元禄14(1701)下宝来に観音堂(福寿庵)を建立、無食供養などの念仏供養、信仰の普及につとめた。 ◎現在、旧大宮市内に残存する10基の無食供養塔は元禄13(1700)~寛延元年(1748)の造立で、是心の活動時期とちょうど重なります。 ◎なぜ関西にあった「無食供養」がこの地に伝わったのか?もしかしたら是心の導師=福正寺住職がもと回国修行僧だったのか?このあたりは資料に記載はなく本当のところはわかりませんでした。 ◎無食=苦行かと思っていたのですが、毎月一日、三年三ヶ月の断食を行うだけで「極楽往生間違いなし!」ということであれば、やはり「易行」ということになるのでしょう。 閑話休題。では「三橋の石仏」をはじめます。 とんび坂 西区三橋5-2173[地図] 水判土交差点は変則的な六差路になっているが、ここから県道を離れてやや細い道を北東に向かうとT字路に突き当たる。ここを左折して北へ進む道が県道165号線。T字路の曲がり角の住宅のブロック塀の中に庚申塔が立っていた。庚申塔のちょうど前のあたりから北へ向かって上り坂になっていて、ここを「とんび坂」と呼ぶらしい。 庚申塔 正徳5(1715)二段の台の上、大きな宝珠を乗せた唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。 彫りは細かく丁寧で、白カビもほとんどなく、像は美しい状態を保っている。立派な日月雲の下、細かく結い上げた髪の間にとぐろを巻いた蛇を乗せた三眼の青面金剛。矛・法輪・弓・矢を持つ指の先までリアルに表現されている。 足の両脇に二鶏を半浮き彫り。足元の邪鬼は大きな磐座の上で左右の足を交互に折り曲げ、丸い顔を正面に向けて憎々しげな表情。台の正面に大きな三猿が彫られていた。 塔の右側面「奉彫刻庚申供養塔現世安穏後世善處攸」 左側面中央に造立年月日。右脇に武蔵國足立郡内野下村、左脇に講衆都合二十七人謹白と刻まれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.13 12:34:47
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