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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2023.12.13
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とんび坂から北へ、JR川越線を越えて国道16号線まで、新大宮バイパスの西を並行して北上する道、県道165号線を進みます。今日は曹洞宗寺院 永泉寺の石仏を見てみましょう。

永泉寺 西区三橋5-1244​[地図]


とんび坂の庚申塔から北へ700mほど進み、信号交差点を越えた先、道路左側に永泉寺の山門が立っていた。山門は建て替えられたもので新しい。


山門左 戒壇石 享和元年(1801)禅宗寺院でよく見かける「不許葷酒入山門」と彫られた石塔。右側面に造立年月日。左側面に「四國西國坂東秩父巡拝供養」願主とあり、その下に内野上邑、下郷邑から二名の名前が刻まれている。


右 寺標 大正15(1926)正面に曹洞宗 永泉寺。左側面に造立年月日。右側面に新秩父廿三番 本尊十一面觀世音。10年前訪れたときはここに丸彫りの地蔵菩薩塔が立っていたはずなのだが・・・

DSC_9638.jpg
当時の基礎資料「郷土の石佛」に記載があったのはこのお地蔵様。近くにその姿は無く、前回は門前だけで失礼したのだが、この地蔵菩薩塔をさがすために今回は境内を回ってみることにした。


大きな本堂の左手、竹垣の前に六地蔵塔などの石塔が並ぶ。ここを通って裏の墓地に向かうことになる。


左から観音霊場供養塔 寛政7(1795)四角い台の上の角柱型の石塔の正面 「西國 坂東 秩父 供養塔」上部に聖観音菩薩を浮き彫り。


観音様は小さいながらも細部まで丁寧な彫り。塔の左側面に造立年月日が刻まれている。


右側面 上部に「伏冀」(ふしてねがう)その下に國家晴平風雨和順 子孫長久如意吉利。


台の正面 右から内野下邑 願主とあり4名の名前、続いて上村とあり4名の名前。さらに左側面に下村とあり3名の名前が刻まれていた。


その隣 六地蔵菩薩塔。丸彫りの六体の地蔵菩薩立像、蓮台ともによく揃っている。それぞれ背中に戒名が刻まれているが、紀年銘などは見当たらなかった。


続いて如意輪観音供養塔 文化12(1815)四角い台の上の角柱型の石塔の正面「如意輪觀世音爲二世安樂」塔の上部に丸い穴があり、如意輪観音坐像が乗っていたのかもしれない。


塔の右側面に五つの戒名。左側面に造立年月日。その左に願主當村中善女人と刻まれている。


その隣 大六天塔 安政2(1855)石祠の正面に「奉請大六天」側面に造立年月日と寄進者の名前が刻まれていた。


右端 丸彫りの地蔵菩薩立像。右手に針金で補修された錫杖を持ち、左手に合掌する子供を抱えて、子育地蔵であろうが、台も石塔も欠いていて詳細は不明。ここに置かれる何らかの意味はあるのだろう。


本堂の左脇を抜けると、その先に大きな墓地が広がっていた。本堂の裏に沿って墓地の東のラインを北へ歩いてゆくと、途中に丸彫りの地蔵菩薩塔 寛政12(1800)が立っている。


派手な装飾の付いた輪光背を負い、右手に豪華な柄の錫杖、左手に赤子を抱いた地蔵菩薩坐像。子育地蔵だろう。


石塔の正面に「三界萬霊等」左側面に造立年月日。脇に當山十四世代とあり、永泉寺ご住職の主導で建立された三界万霊塔である。


左側面に多くの童子・童女戒名。裏面には喜捨とあり、寄進額とその名前が刻まれていた。


さらに奥に進むと、新しい大きな観音菩薩像を頂点に多くの無縁仏が積まれた「無縁塔」正面の線香立て、花入れが新しく、最近整備されたもののようだ。


正面すぐ右側の一角、無縁仏とは思えない石塔が集められていた。


左 成田山供養塔 明治10(1877)講中仏である。塔の右側面に造立年月日。さらに下内野村と刻まれている。


台の両側面には多くの名前が刻まれていた。


その隣に蓮台と敷茄子が重ねておかれて、続いて丸彫りの地蔵菩薩立像。10年前に門前に立っていたあのお地蔵様に間違いない。錫杖は無事だったが左手の宝珠が欠けていた。


地蔵菩薩像の右脇、反花付き台の上の角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「念佛講」左側面に施主 武州足立郡内野下 大戸分惣村講中。


右側面に宝暦7(1757の紀年銘。願主二名の名前が刻まれている。





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Last updated  2023.12.13 18:36:52
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