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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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荒澤不動尊の前の交差点、右の道を下ってゆくと道路右手に大きな公園が見えてきます。今日は県道2号線からもすぐ近く、指扇道下公園にある墓地の石仏です。 指扇道下公園墓地 西区指扇291[地図] 県道2号線の三橋交番前交差点から指扇駅方面へ向かい、二つ目の押しボタン信号交差点を左折、300mほど進むと道路左側に指扇道下公園がある。広い敷地内には神社や自治会館があり、その南東の一角に墓地があった。 入口から入ってすぐ左、地蔵菩薩立像 宝永7(1710)四角い台の上、分厚い敷茄子が目立つ。 おちょぼ口ですました表情のお地蔵様。欠損はなく彫りもきれいに残っていた。 敷茄子に銘が刻まれている。中央に「念佛供養」両脇に造立年月日。右のほうに施主 五味貝戸村。 左のほうに男女合六十八人 敬白と刻まれていた。五味貝戸村の多くの人たちが力を合わせて造立した念佛供養塔。300年あまりの長い間、村の人たちの祈りを受け続けてきたのだろう。 その隣の小堂の中 六地蔵菩薩塔 明治24(1891)六体は風化もなくきれいな状態でよく揃っている。 小堂の隅には首のもげた丸彫りの地蔵菩薩像がいくつか残されていた。以前こちらに祀られていた六地蔵だろうか。 入口の右手奥に三基の石塔が並んでいる。 手前 順礼供養塔 天保6(1835)二段の四角い台の上 角柱型の石塔の正面上部に月山 湯殿山 羽黒山、その下に「秩父 西國 坂東 百箇所供養塔」百ヶ所供養塔とあるが、出羽三山も含まれるので順礼供養塔とした。 塔の右側面に造立年月日。左側面に武州足立郡差扇領 五味貝戸村。差扇=指扇この表記もときどき見かける。 台の右側面 當所とあり四名の名前、下郷村、畔吉村から各一名の名前が刻まれている。 左側面にも當所とあり数人の名前が刻まれていた。 その隣 雨除けの下に念仏供養塔 天明8(1788)四角い蓮台の上の角柱型の石塔の正面に「念佛供養塔」両脇に造立年月日。塔の上に丸彫りの如意輪観音坐像。全体に白カビはほとんどなく、如意輪観音の二臂像は美しい状態を保っている。 塔の左側面に當村 女講中。 右側面に世話人とあり、二名の名前が刻まれていた。 一番奥 一石六地蔵塔。銘が見当たらず造立年など詳細はわからないが、江戸時代初期、遅くとも享保以前のものと思われる。 六体のお地蔵様はどれも顔が削れていた。像の他の部分や持物は比較的きれいに残っていて、この破損は風化のためではなく、おそらく人為的なものではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.23 19:41:16
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