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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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県道2号線を五味貝戸から西へ、琵琶島、赤羽根と進みます。 大宮地蔵庵 西区指扇1045[地図] 県道2号線を五味貝戸から西へ進むと、やがて道路左側にNTTの大きな鉄塔が見えてくる。その手前は連続して二基の時差式信号機が設置された変則的な交差点。その西のほうの信号交差点を左折して細い道に入るとすぐ先に小さな墓地があった。 階段を上った先、左側に丸彫りの地蔵菩薩塔が立ち、その横に六地蔵が並んでいる。 念佛供養塔 明和2(1765)四角い台に反花付き台を重ねた上に角柱型の石塔。厚い敷茄子と蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。本格的な構成で総高2mを超す。お地蔵様は宝珠を欠き、首から肩にかけて補修の跡があった。 角柱型の石塔の正面に「念佛供養尊」両脇に造立年月日。塔の右側面 右下に下郷村中とあり、左上に信女、童女など七つの戒名。 左側面手前に五つの戒名。奥に五味貝戸村中と刻まれている。 隣に六地蔵塔。風化が進み一部剝落、ところどころに銘は残っているが紀年銘は確認できなかった。10年前には右から3番目の光背に寛政3年と読めたのだが、それも命日の可能性が高く、造立年は不明。六体のお地蔵様はいずれも顔がつぶされている。 琵琶島稲荷神社 西区指扇2318[地図] NTTの鉄塔の近くの交差点から200mほど進み、左の細い道に入った先に琵琶島東公園がある。その西にある稲荷神社の入口に石塔が立っていた。 庚申塔 享保11(1726)小さな鳥居の奥、唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。 頭上にとぐろを巻いた蛇を乗せた三眼の青面金剛。腰のあたりに足を折り曲げたショケラがすがりつく。 足の両脇に二鶏。足元の邪鬼は腰と頭を踏まれながらも上目遣いにすごむ。その下に正面向きの三猿が彫られていた。 塔の左側面下部に十二名の名前。塔の右側面中央に造立年月日。その右脇に武刕足立郡指扇子下郷組。下部右端に妙光寺とあり、十名の名前が刻まれている。指扇子の「子」は荒澤不動尊の庚申塔の銘の中にもあった。はじめ見たときは「字」のウ冠を省いたか、指扇領の領の代わりに子を使うことがあるのかと思ったが、どうも違うようだ。調べてみると指扇村には赤羽根、大木戸、台、下郷、増永、大西、五味貝戸の7つの組があったらしい。この組名を表す時、指扇(村の中の)下郷組=指扇子下郷組というふうに使われるのだろうか? 神宮寺跡墓地 西区指扇2802[地図] JR川越線の指扇駅の東、県道2号線の北にある赤羽根氷川神社。その北西の住宅街のなか、民家に囲まれた畑地が旧神宮寺の跡地だという。だいたいの場所の情報を得て付近を探し回ったのだがなかなか見つからず、近くで畑仕事をしていた人に聞いてやっと探し当てた。現地は石仏までのしっかりしたアプローチがなく、上の写真の畑のあぜ道をたどってゆくしかない。 畑の奥の北西の隅、雑草が生い茂る中、卵塔などといっしょに大きな丸彫りの地蔵菩薩塔が立っていた。 無食供養塔 寛延元年)(1748)反花付き台に角柱型の石塔、重厚な敷茄子・蓮台の上に堂々と佇む丸彫りの地蔵菩薩像。総高2mは優に超す。 白カビはあるものの欠損も補修跡もなく美しい状態を保っていた。資料によると現在も郷中の人たちによって念仏供養が続けられているという。 石塔の正面を彫りくぼめた中「無食供養塔」両脇に造立年月日。西遊馬で見た二基に続き西区で見る三基目の無食供養塔である。塔の左側面に神宮寺 講中二十五人と刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.26 17:12:00
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