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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2023.12.31
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今日は中郷薬師堂の石仏です。現在の住居表示は「西大宮」ですが、以前は「指扇」だった地域で、このあたりが旧大木戸村、旧台村になるようです。

中郷薬師堂 西区西大宮1-34​[地図]


JR川越線西大宮駅から300mほど西、線路北の道を進んでゆくと薬師堂の入口があった。入口から正面に薬師堂。右に中郷自治会館。薬師堂の西から奥に墓地が広がっている。入口左には大きな二基の石碑が立っていた。


石碑の裏には多くの石塔がコの字に並んでいる、右側に比較的大きな石碑が三基。正面に卵塔を含む四基。左側に五基の石塔。正面の四基は墓石だった。右の石塔から見てみよう。


右の三基のうち 手前 無食供養塔 元禄13(1700)駒型の石塔の正面を彫りくぼめた中、上部に蓮台に座る金剛界大日如来像を浮き彫り。智拳印を結ぶ。


その下中央「奉造建大日如来石像毎月一日無食修行三年三月成就所」無食供養の内容について明記されていて、無食供養についての基本的な知識を得ることができる貴重な銘になっている。銘の両脇にたくさんの名前が何段かに分かれて刻まれているが薄くなっていてはっきりしない。ただ最上段の左端にははっきり願主十誉是心と刻まれていた。両脇の縁の部分に造立年月日。左縁の下部に無食十三人と刻まれている。旧華蔵寺墓地の地蔵菩薩塔に続いて西区で五基目の無食供養塔で、市の有形民俗文化財に指定されている。


その隣如意輪観音塔 天明7(1787)四角い台の上の角柱型の石塔に敷茄子と大きな蓮台を重ね、その上に丸彫りの如意輪観音坐像。総高は2m近い。

右足を立てた観音様は六臂。丸彫りにも関わらず欠損が無いのは奇跡的だ。上の手は右手は頬に、左手に法輪。中の手は右手に宝珠、左手に蓮華。下の手は数珠を持った右手は右足の裏に、左手は左ももの上に置かれていた。



角柱型の石塔の正面中央「奉建立講中」両脇に造立年月日。右下に大木戸村 六十五人。左下に臺村 二十人。


塔の右側面 大西村 五人、赤羽村 五人、増永村 二人、下江村 二十九人、別所村 十人。


左側面 法願寺村 二人、中釘村 一人。正面の二村も合わせると全部で九か村、139人になる。続いて當村 願主 一名、同所 世話人一名の名前が刻まれていた。


続いて 念佛供養塔 享保18(1733)大きな四角い台の上に角柱型の石塔、さらに敷茄子と蓮台を重ねた上に丸彫りの地蔵菩薩像。像は白カビが多いものの大きな欠損は見られない。


角柱型の石塔の正面中央「奉建立念佛講中」両脇に造立年月日。


塔の右側面 武刕足立郡 指扇領大木戸村 男女三拾八人、同領臺村 男女六人、同領大西村 男女六人。同領臺村の上に施主とあるが、施主は三ヶ村50人ということだろう。左側面に与野町石工の名前が刻まれている。


コの字の左側、西向きに並ぶ五基の石塔。左から二番目の頭部を失った丸彫りの地蔵菩薩塔と右端の舟形光背地蔵菩薩塔は墓石だった。


左端 回国供養塔 安永9(1780)角柱型の石塔の正面中央 梵字「キリーク」の下に「奉納日本囬國」両脇に天下泰平・國土安穏。塔の両側面は白カビが厚く写真は難しいが、右側面に造立年月日、左側面に臺村願主 浄念と刻まれている。


左から3番目 回国供養塔 宝暦8(1758)四角い台の上の角柱型の石塔の正面中央に大きく「日本回國供養」上部両脇に薄く天下泰平・國土安全。


塔の右側面に造立年月日。左側面 梵字「アーンク」の下に秀蓮浄誓大徳 霊位。両脇に大木戸村 願主。そのままに読めば高僧の墓石と思えるが、「大徳」と「霊位」が少し離れていて、ひょっとすると「霊位」はこの回国供養塔の願主だった僧が亡くなったあとに追刻されたものか?右側面の紀年銘の最後は吉祥日になっていて、他に命日らしいものも見当たらないし・・・ふとそんなことも考えた。


その隣 庚申塔 正徳2(1712)四角い台の上、唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


顔のあたりは風化のためか一部削れている。頭上は蛇?持物は矛・法輪・弓・矢とノーマルな構成。


足の両脇に二鶏を半浮き彫り。左に雄鶏、右に牝鶏となっていて、これはあまり見ない組み合わせ。足元の邪鬼は厚い白カビのために顔の様子がうかがえない。その下に正面向きの三猿が彫られていた。


塔の左側面に蓮華が彫られている。右脇に造立年月日。右下 大西村、左下に赤羽村。


右側面にも蓮華が彫られていた。左脇に武刕足立群指扇内、左下に臺村、右下に大木戸村。裏面に「奉供養庚申待成就所」と刻まれている。


入口から入って右奥、敷地の東の隅に西向きに小堂が立っていた。小堂の中に六地蔵菩薩塔 寛保3(1743)


風化のために顔のはっきりしないもの、白カビが多いものもあるが、舟形光背に浮き彫りされた六体はよく揃っていて、銘もほぼ同じ内容。光背右脇に造立年月日。


光背右下に大木戸村 臺村。左脇に「無食供養塔」施主廿二人。六地蔵はまとめて一セットと考えると、こちらは西区六番目の無食供養塔になる。

さて、早いもので今日は大晦日です。今年も多くのかたにご来訪いただきありがとうございました。心より感謝申し上げます。

今年は初心にかえって「再訪さいたまの石仏」をはじめました。10年前と比べて少しは進歩しましたでしょうか?来年も頑張ってより丁寧に石仏に向き合ってゆきたいと考えています。「私家版さいたまの石仏」から「決定版さいたまの石仏」をめざして・・・

それでは皆様良いお年をお迎えくださいm(__)m





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Last updated  2024.02.06 06:19:40
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