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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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今日は西大宮の残り二か所の石仏です。 旧法願寺跡墓地 西区西大宮2-14-4[地図] 十一面観音堂の近くにある指扇小学校から北へ向かい、国道16号線の高架下をくぐった先に指扇公民館があった。公民館の右脇の道に入ってすぐ右折すると道路左手に墓地がある。脇の建物は高木末広自治会館。ここからずっと東に進むと指扇中学校があり、指扇小学校、指扇中学校、指扇公民館、いずれも現在の住居表示は西大宮。旧指扇のかなり広い地区が住所変更されたことがわかる。 墓地に入ってすぐ左手に六地蔵の小堂が立っていた。六地蔵じたいはかなり新しいもの、銘は確認できなない。 小堂の左脇 如意輪観音坐像。こちらも銘が見当たらなかった。彫りは細かく写実的で生き生きとしている。 薬師堂で見た天明7年の如意輪観音像によく似ている。丸彫りの六臂像で持物も同じ、同じころのものだろうか? 小堂の右脇に二基の地蔵菩薩塔。左は頭部が欠けていて詳細は不明。右は宝暦5(1755)造立。 角柱型の石塔の正面に28文字の偈文。塔の左側面に天下泰平 國土安穏。 右側面に造立年月日。続いて施主 北貝戸村と刻まれていた。 その右のコンクリートの台の上、丸彫りの地蔵菩薩立像がひとつの台の上に二基並び、前列に二セット、裏にもう一セット。前後合わせて六地蔵菩薩塔 寛政10(1798) 前列左の台の正面 右に造立年月日。中央に「念佛講中」両脇に天下泰平・國土安全。左に近郷助力とあり、法願寺村、願主 願心。大木戸村、大西村と刻まれていた。 墓地の右手に大小合わせて23基の板碑が集められている。 もっとも大きな板碑 貞和5(1349)南北朝時代のもの。上部に阿弥陀三尊種子。その下に造立年月日が刻まれている。 西区役所東墓地 西区西大宮3-14[地図] 国道16号線大塚古墳交差点から北へ進むと、150mほど先の交差点の北西の角に墓地があった。ブロック塀の隅に石塔が祀られている。 地蔵菩薩塔 宝永2(1705)舟形光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。風化のために顔ははっきりしない。光背両脇に造立年月日。左下に清河寺村。 足元の部分に施主 神田市兵衛 同十七人と刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.04 19:31:19
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