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私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2024.01.16
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今日は秋葉神社の別当だった曹洞宗寺院 永昌寺の石仏を見てみましょう。

永昌寺 西区中釘1698​[地図]


秋葉神社の北で秋葉通りは右におおきくカーブして東に向かうが、少し進むと斜め左に分かれてゆく道があった。このやや細い道に入って400mほど先に永昌寺の入口がある。入口から100mほど奥に山門が立ち、両脇に大きな石塔が並んでいた。


左脇 戒壇石 安永4(1775)上部が凝った形の角柱型の石塔の正面「不許葷酒入山門」右側面に造立年月日。左側面に施主北貝戸村の後は個人名だが、最後に「母」とある。


右 観音霊場供養塔 寛政8(1796)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面「西國 秩父 坂東 南無觀世音菩薩」塔の左側面に「百箇所順禮諸願成就皆令満足」右側面に造立年月日。その下に當山十二世良明叟代。さらに回国行者 個人名が刻まれていた。


山門を入ると正面に本堂。参道の両脇に多くの石塔が並んでいる。参道右脇には9基の石塔。


手前から如意輪観音塔 寛政7(1795)四角い台の上、角柱型の石塔に敷茄子・蓮台を重ねた上に如意輪観音半跏坐像。石塔の正面に「爲諸聖霊」両脇に信女、比丘尼ふたつの戒名が刻まれていた。これは個人の墓石ではなく、合わせて諸々の霊のために造立した供養塔ということだろうか


中郷薬師堂、旧法願寺墓地に続いてこの地域で三基目の丸彫りの如意輪観音像である。上の手は右手は頬に、左手に法輪。中の手は右手に宝珠、左手に蓮華。下の手は数珠を持った右手は右足の裏に、左手は左ももの上に置き、三基の持物は同じで、特に旧法願寺墓地の像とよく似ているようだ。


石塔の右側面に造立年月日。その横に當山十二世良明代。このご住職の名前は門前の観音霊場供養塔にもあった。導師としてここに銘があることからも単に個人の墓石ではないような気がする。


左側面には願主とあり、信士1、信女2、童子1の合わせて四つの戒名があり、信士の横に俗名が刻まれている。一家そろって生前戒名を授かった村の有力な檀家さんが願主として造立したのかもしれない。


その隣 馬頭観音塔 文化13(1816)駒型の石塔の正面に三面六臂の馬頭観音立像を浮き彫り、顔はつぶれているが、髪を逆立て忿怒相か?頭上に馬頭。持物は羂索、法輪、独鈷杵、棒。像の前面は損傷が著しい。


塔の右側面に造立年月日。この角度からはやはり忿怒相に見える。


左側面には中釘村 願主とあり、個人の名前が刻まれていた。


続いて大乗妙典供養塔 天明6(1786)上部が丸い角柱型の石塔の正面中央に「奉納大乗妙廻國供養塔」両脇に造立年月日。下の台の右側が大きく欠けている。


塔の右側面 「伏願 十方助力男女各各 現世安穏後生善処」


左側面に武州足立郡差扇領中釘村とあり、その横に現永昌□明□代。その下に願主 自運任□と刻まれていた。


二本の立木をはさんで、その先に馬頭観音塔 明治34(1901)駒型の石塔の正面「馬頭觀世音」塔の右側面に造立年月日。左側面に施主は個人名。


続いて地蔵菩薩塔 宝暦5(1755)四角い台の上の角柱型の石塔に敷茄子・蓮台を重ねて、その上に丸彫りの地蔵菩薩立像。尊顔は穏やかで大きな欠損もない。


塔の正面に造立年月日。その横に施主 中釘村中。


塔の右側面に助力とあり、下部にひらがなで多くの名前が刻まれている。


左側面には願主とあり、こちらの下部にもひらがなで多くの名前、どうやら女性中心の講のようだ。


その隣 地蔵菩薩塔 安永4(1775)二段の四角い台の上に反花付き台を重ねた上に角柱型の石塔。さらに分厚い敷茄子に重厚な蓮台に立つ丸彫りの地蔵菩薩像。総高は約3m、雄大なスケールの地蔵菩薩塔。石塔の正面に「先祖諸精霊」と刻まれていた。


塔の左側面に造立年月日。右側面に施主上野邑とあり、横に個人名が刻まれている。隣村である上尾の上野の檀家さんがご先祖様の供養のためにこの規模の大きな地蔵菩薩塔を個人で造立したということか?江戸時代中期になって、それだけの豊かな経済力を持った富裕層が存在したということになる。


続いて地蔵菩薩図像石碑 大正3(1914)大きな自然石に地蔵菩薩像を線刻。遠目ではほとんど識別できない。


上部に蓮台に座る輪光背を負った地蔵菩薩像。右脇に「四國八十八ヶ所寫」左脇に高野山大地蔵と刻まれていた。曹洞宗寺院である永昌寺に弘法大師ゆかりの石碑が建つのは面白い。


下部には蓮台に立つ六体の地蔵菩薩像を線刻。六地蔵だろうか?


その隣 地蔵菩薩図像石碑 大正2(1913)下部に造立年月日。その下に個人の名前で建之。


近寄って見るとこちらは一尊、やはり輪光背を負った地蔵菩薩立像で、体をやや前に傾けて衆生に語り掛ける姿のように見える。


一番奥、如意輪観音塔。小型の駒型の石塔の正面に六臂の如意輪観音坐像を浮き彫り。顔はつぶれていて、像の一部が摩耗、それでもしっかり六臂の持物は確認できた。銘は見当たらず造立年などの詳細は不明。右端の大きな如意輪観音塔と較べると取るに足らないような規模の如意輪観音塔だが、ここではしっかりとお祀りされている。





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Last updated  2024.01.16 20:14:51
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