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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2024.01.20
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今日は中釘の東、高木の石仏です。三か所のうち、最後の阿弥陀寺は、以前は高木でしたが、今は住居表示が西大宮になっていました。2017年、指扇、清河寺、高木、中釘の一部が「西大宮」になったようです。

老人ホーム東の藪中 西区高木586​[地図]


県道57号線から秋葉通りに入って300mほど進み、右手にあるゴルフ練習場の先を右折して細い道を東に向かうと、左手に大きな老人ホームがある。さらに進むと三差路、左の道に入ってすぐ、道路左手の住宅の裏の藪の中に小堂が立っていた。


小堂の中 庚申塔 元禄13(1700)板碑型の石塔。下部に大きな見猿が彫られている。


石塔の正面中央「奉待庚申供養所」両脇に造立年月日。


下部に正面向きに見猿。右脇に北貝戸村、左脇に個人名が刻まれていた。

氷川神社 西区高木944​[地図]


国道16号線のすぐ北、指扇交差点から北へ向かう道は高木交差点で県道216号線と合流する。そのちょうど中間あたりの信号交差点から斜め左に分かれる細い道があり、すぐ先に石鳥居、さらに朱塗りの鳥居が立っていて、さらにその先突き当りに氷川神社があった。右手の幟立のポールの向こうに石塔が見える。


庚申塔 元禄6(1693)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。像の周辺は白カビが厚い。


像の右脇「奉造立庚申供養」左脇に造立年月日。左下に塚施主永蓮法印。持物は矛・法輪・弓・矢。


足元に邪鬼、顔はのっぺらぼう。邪鬼の下に正面向きの三猿。その下の部分、左脇に木下村とあり、脇に12名の名前が刻まれていた。

阿弥陀寺 西区西大宮4-54​[地図]


氷川神社から東に向かい、大きな道を越えてさらに200mほど進むと阿弥陀寺の山門の前にでる。山門の右手前の駐車場の隅に小堂が立っていた。


庚申塔 宝暦12(1762)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


輪光背を負った釣り目三眼の青面金剛。頭上には蛇?持物は矛・法輪・弓・矢。


足元の邪鬼はうらめしそうに上目使い。その下に正面を向いて座る三猿。


塔の左側面に造立年月日。下部に十名の名前。


右側面に武刕足立郡阿弥陀寺村。その下に六名の名前が刻まれている。


山門を入ると左手、横長の小堂の中に石塔が並んでいた。その裏には墓地が広がっている、


左端 地蔵菩薩塔 享保18(1733)四角い台の上の角柱型の石塔に丸彫りの地蔵菩薩立像。像は欠損なく堂々としたたたずまい。


角柱型の石塔の正面「奉建立地蔵菩薩爲二世安樂」両脇に造立年月日。右下に阿弥陀寺、左下に願主 個人名が刻まれていた。


その隣 読誦供養塔 元禄11(1698)舟形光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。光背右脇「奉讀誦浄土經千部」その下に造立年月日。左脇に武州足立郡指扇阿弥陀寺 仰譽上人圑弓誌。浄土経の読誦供養塔は珍しい。足元の部分、中央に施主とあり、その右脇に北貝戸村から四名、左脇に清河寺村からも四名の名前が刻まれている。


続いて如意輪観音塔。大きな舟形光背に二臂の如意輪観音坐像を浮き彫り。立派な石塔なのだが全く銘が刻まれていない。この無銘塔をどう考えるのか?江戸で像まで仕上げた石塔が水運の発達で近県に流通、仕入れたお寺、講中が現地の石屋さんに依頼して刻字、墓石・供養塔として祀られる。例えばお寺で買い入れたまま売れ残った?そんなケースだろうか?いずれにしても全く無銘の石塔がそのまま祀られているのは珍しい。


小堂の右端 六地蔵菩薩塔 平成11(1999)台の左脇に造立年月日。続いて檀徒一同、阿弥陀寺21世と22世の名前が刻まれていた。





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Last updated  2024.01.20 20:26:00
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