私家版 さいたまの石仏
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☆いたやま☆
自転車とカメラが趣味です。 さいたま市とその周辺の地域の石仏を紹介します。
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ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 高木の最終回です。西区も残りわずかになりました。 観音寺 西区高木1671[地図] 県道216号線の高木交差点を右折、やや細くなった道を道なりに進むと観音寺の朱塗りの山門の前にでる。 山門右手前 法華経千部供養塔 明治15(1882)二段の四角い台の上、角柱型の石塔の正面「法花經千部塔」 塔の左側面には歌が刻まれていた。くずし字ではじめは「夢」だろうが、あとはうまく読めない。 左側面上部に讀願主とあり、その下に江州(滋賀県)出身?常光寺の21世住職の名前。裏面に造立年月日が刻まれていた。
二段の台の上のほうの台の正面と左側面に、寄付金額とともに合わせて12名の名前、右側面に世話人5名の名前が刻まれている。 山門を入って右側、墓地の塀の前に多くの石仏が並んでいた。 手前から六地蔵塔白カビが目立つが像容はよく揃っている。下の台は43年に地元の多くの人たちの寄付で設けられたもの。本来の台はなく塔にも銘は見当たらず造立年などはわからない。 その隣 地蔵菩薩塔 正徳2(1712)四角い台に分厚い敷茄子と蓮台を重ねて 丸彫りの地蔵菩薩立像。全体にうっすらと白カビに覆われていた。 敷茄子に造立年月日。さらに施主 木下村中と刻まれている。 続く地蔵菩薩立像は、蓮台にくらべて下の台が小さく本来のものではなさそう、敷茄子も欠き、どこにも銘が見当たらないため講中仏なのか墓石なのか、造立年など詳細は分からなかった。 その隣 大乗妙典供養塔 享保3(1718)四角い台の上、唐破風笠付き角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「バク」の下に「奉納大乗妙典六十六部日本回國」上部両脇に大小 神祇、中ほど両脇に天下泰平・國土安穏。右下に武州足立郡木下村、左下に觀窓常空持衣子、回国行者名か。塔の最下部に供養施主 木下村 和久津氏。 塔の右側面に造立年月日。左側に助力衆中、その下に現世安穏後生善処と刻まれている。 続いて 馬頭観音塔 寛政9(1798)駒型の石塔の正面に三面八臂の馬頭観音坐像を浮き彫り。 輪光背を負った三面の馬頭観音。馬上に立派な馬頭。三面とも目は半眼、忿怒相か慈悲相かは微妙な 感じ。持物は三叉戟・法輪・斧・与願印・数珠。これは辻の庚申塔脇と秋葉通り三叉路に立っていた二基の馬頭観音と全く同じ。あちらは立像で寛政5年造立、こちらは坐像で寛政9年造立と違いはあるが、同じ石工の仕事かもしれない。 塔の左側面に造立年月日。右側面に願主二名の名前が刻まれていた。 その隣 馬頭観音塔 文政10(1827)隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、梵字「カン」の下に「馬頭観音」両脇に造立年月日。願主 和久津氏。 続いて三基の馬頭観音塔。右から天保11(1840)文政元年(1818)万延2(1861)施主、願主はいずれも個人。村の個人の宅地や畑地にあったものが、管理上の都合でこちらに移されてきたのだろう 観音寺東T字路角 西区高木1254向[地図] 観音寺の前の道を東に向かうと、350mほど先のT字路交差点の左角の塚に石塔が祀られていた。周りはきれいに整備されている。 庚申塔 寛政3(1791)薄い礎石に四角い二段の台を重ねた上の駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。 三眼の青面金剛。ショケラの髪をつかむ左手は逆手、これは珍しい。持物は矛・法輪・弓・矢。 足元の邪鬼は土下座スタイル。その両脇に二鶏。三猿は両脇が内を向いて座る。その下の台の正面に東 大宮 原市、西 川越 平方。 塔の右側面に北 上尾 南 阿きは 道と刻まれていて、道標になっていた。 左側面「爲西國坂東秩父百番供養諸願成就建焉」観音霊場供養塔も兼ねているらしい。右脇に造立年月日。左脇に武州足立郡差扇領木下村施主とあり、二名の名前が刻まれている。
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