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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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領家から東へ進み、瀬ケ崎に入ります。今日は三島神社と東泉寺の石仏を見てみましょう。

三島神社南角 浦和区瀬ケ崎2-15​[地図]


北浦和駅東口から東へ向かう北宿通り、産業道路を越えて500mほど先の道路右側に三島神社と東泉寺がある。三島神社の手前を右折して南へ進むと左手、T字路の角、高いところに石塔が立っていた。


庚申塔 寛政8(1796)角柱型の石塔の西向きの面 中央に「庚申塔」右脇に是より南 うらわミち。左脇に是より西 大ミやよのミち。


南向きの面中央に「巳待塔」左脇に是よ里東 阿かやま道。右下に華渓老人書。


北向きの面中央に「甲子塔」右脇に是より㣺いわつきミち。


東向きの面に造立年月日。続いて瀬ケ崎村 願主武笠氏と刻まれていた。庚申塔・巳待塔・甲子塔であり、三面合わせて五地名が刻まれている道標でもある。

東泉寺 浦和区瀬ケ崎2-15​[地図]


三島神社南のT字路から東に進むと道路左側に東泉寺の入口があった。山門手前両脇に石塔が並ぶ。右手前、道路近くに天台宗 青柳山普光院 東泉寺と刻まれた寺標が立っていた。


山門左脇 ブロック塀の隣に二基の庚申塔の文字塔が並んでいる。


左 庚申塔 昭和6(1931)隅丸角柱型の石塔の正面「庚申塔」


塔の左側面に造立年月日。右側面に「交通安全」裏面に瀬ケ崎有志一同と刻まれていた。


右 庚申塔 天保5(1834)角柱型の石塔の正面「(庚)申塔」塔の上部は剥落している。


塔の右側面、かなり傷んでいるが銘は残っていた。右に□佐きみち。木崎だろうか?左に うらわミち。道標になっている。


左側面に造立年月日。年号は欠けていた。5年で午年となると文政5(1822)天保5(1834)安政5(1858)があるが、資料には天保5年と明記されていて、以前はそう判断するだけの材料があったのかもしれない。左脇に(武)刕足立郡瀬ケ崎村、中央下に大ミやと刻まれている。


山門のすぐ左手前 大乗妙典供養塔 明和5(1768)二段の四角い台の上、宝珠をのせた大きな角柱型の石塔の正面、梵字「アク」の下に「大乗妙典一千部供養塔」両脇に天下泰平・國土安全。


塔の左側面に造立年月日。石塔の規模にふさわしく、字は雄大で力強い。


左側面に回向文。裏面中央 武州足立郡瀬箇崎村於東泉寺安置之。左脇に施主 同所とあり武笠氏の名前が刻まれている。


上の反花付き台の左側面、右端に連中とあり、続けて當所 武笠氏から始まって、與野町、本太村などから合わせて9名の名前。


右側面 奥に連中とあり、柳埼村、中尾村、千駄村などから8名の名前。最後は當寺隠居 義明 以上と締めくくられていた。


山門右脇の植え込みの中 大日如来真言塔 安永5(1776)大きな粗彫り角柱型の石塔の正面に梵字で「アビラウンケン」大日如来の真言である。塔の右側面に「永代十五日普門品」


塔の左側面「永代八日百萬遍」裏面に造立年月日。その下に願主瀬箇崎村 東泉寺住義明。山門左脇の大乗妙典供養塔にあった「當寺隠居義明」と同一人物だろう。


境内に入ると左側、鐘楼の先に歴代住職の墓地があった。


墓地の北、阿弥陀如来坐像 元禄10(1697)二段の台に反花付き台を重ね、円柱形の石塔の上に蓮台に座る丸彫りの阿弥陀如来像。


厚い蓮台の上の阿弥陀如来像。首に補修跡があるが、他に傷はなく、白カビもほとんど見あたらない。


円柱形の石塔の正面、右に青柳山東泉寺 □□□十三代。中央はうまく読めないが法名か。左に紀年銘、こちらは命日だろう。





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Last updated  2024.03.12 19:18:39
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