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カテゴリ:体験記
今の顕正会員の信じる先・見つめる先はどこにあるんでしょうか?
私が入信した理由は、(毎度のことですが)日蓮大聖人様への正しい信心ができる唯一の団体であると信じたからです。
なぜ、顕正会が唯一の団体であると思ってしまったか・・・・
その当時、ご宗門と学会の抗争がいろんな事でよく取り上げられていたこと。
これにつきます。
破門した経緯などはよく分かりませんが、一般世間から見れば、内部分裂にしか見えませんしね。
学会が出すいろんな写真もそのまま鵜呑みにしますしね。
だから、正しいとは、思えなかった。
学会は、家の環境などで、いい印象はもともと持てなかったし~
でも、日蓮大聖人様は仏様との認識がありました。
そんな時に、阪神大震災があり・・・私は、関東にいたころなので、免れたのですが・・・
子どもたちを守るためにも信心してみようかな~ 自宅には御本尊様もいらっしゃるし、正しい御給仕のやり方が教えてもらえるだろうし・・・
そんな感じで入りました。
見つめる先は日蓮大聖人様・御本尊様でしかありませんでした。
まったくの、ど素人でしたから、顕正会の理論書や南無日蓮大聖人の書籍は、わかりやすくていっぱい納得しましたよ。
でも、第9・10章がついた時に・・・・ 違和感はとてつもなくありました。
なんだか、ねちっこく思えて・・・『この恨みを忘れるなぁ~!!』・・・
いろいろと「???」が飛び交う指導が増えても・・・
日蓮大聖人様に祈ってさえいれば、たとえ心に暗雲が立ち込めていても、必ず晴れる日が来る・・・ そう信じて
顕正会以外に大聖人様のお心を拝せるところはないはず・・・ そう信じて
人を見て信心しているのではない。 日蓮大聖人様を見つめて信心しているのだ。
『心の師とはなるとも、心を師とはするべからず』
大聖人様を信じていかなければ・・・・ そんな風に思いながら・・・
いつのころからか、先輩の指導にも浅井さんの指導にも日蓮大聖人様が感じられなくなってきて・・・・
そう感じてきた頃に、夫から・・・・
最初は、夫の言葉を疑い、否定し、反論していましたが、自分の答えに道理が通らなくなってね。 顕正会で教えられたことでは、反論できないんです。
文証が年代によって変化していて・・・つまり・・・自語相違
指摘されて、納得するしかなかったです。
難癖やへ理屈で切り抜けることはできたと思いますが、私の心は、『やっぱり、大聖人様がいなくなってたのかぁ~』と納得してました。
「いなくなっられた」のではなくて、破門された時点で、「最初からいらっしゃらなかった」が本当なんですけれども・・・
だから、まったく顕正会に未練がないですね。
私が悩んだのは、班員や友達のこと・・・ 今まで、正しいと刷り込んでいたのに・・・
どうして間違いであることを伝えようか・・・ そればかりが頭をぐるぐる・・・
手を尽くして伝えましたが、結果は残念・・・ 婦人部長にも総班長にも「あなたなんかについていく人などいません!」って言われましたけどね。
後は、大聖人様にお任せですよね。
そう言えば・・・ 顕正会でも、一度、真言の高野山の寺の住職が顕正会に帰依したと登壇してましたよね。 大日如来を本尊とし・・・昼間は国産の安い車・・・日が沈むと外車に乗って繁華街へ・・・ そうして、信者さんたちの目をそらしてた・・・みたいな登壇が・・・
あの、元僧侶はどうなってるんだろうね。
ご宗門でも、2月の大白法(1日号・15日号の前後篇に分かれて)に念仏系の僧侶であった2人の方が昨年ご宗門に移られた経緯などを対談されているお話が載っていますが、念仏では、確信がなく、しょうがないという諦めで、納得させていた・・・と書いてありました。
【現世安穏・後生善処】の現世安穏がないんですよね。
正法には現世安穏があるんです。
顕正会に現世安穏がありますか?
広宣流布したら、今の苦労が実るから、苦労は買ってでもしよう!!
なんて、思ってませんか? 現世に安穏とした生活ができることが、成仏の証拠・後生善処の約束なんですよ。
今の生活が、3年・5年・10年と歯を食いしばるような状態の方・・・ それは、現世安穏ではありませんので、後生善処は叶いませんよ。
今の生活が、安穏とならなければ、大聖人様の教えは虚しくなるんですよ。
大聖人様の仰せのままに信心をしていないから、現世の安穏が実証として現れてこないんですよ。
そのことに気付いて下さいね。
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最終更新日
2009年02月18日 00時27分22秒
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