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2010.05.08
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カテゴリ:民俗学
一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第793話 「剣 山」

 剣山(つるぎさん)は、愛媛県の石鎚山(標高1982m)に次ぐ、四国第2の高峰(1955m)ですが、剣山を主峰とする剣山地を形成していて、徳島県西部から高知県へかけてほぼ東西に剣山、三嶺(みうね)(1893m),天神丸(1632m),高城山(1628m)などが連なっています。

 というか、もっと大きな枠で、石鎚山~久万高原~剣山を結ぶ四国山地全域が古来より修験道などの道場として知られていて、21世紀に入っても峰峰を縦走しながら修行する行者達は後を絶たないようです。

 まさかというような山の峰に行者達の縦走路があり、冷静に考えると、その石をどこから運んできたのかがよくわからないような場所に人一人がやっと通れるくらいの2m程度の長さの石の橋が架かっていたりするのは比較的知られた話ですが、ああいった場所は飛び越えた方が怖いのか、なまじ石橋を渡る方が怖いのか?

 四国山地は、地質構造上は中央構造線の南部ほぼ全域に当たり、北から変成岩~古生層~中生層が帯状分布していることや、山中から魚介類の化石が出る場所があることから分かるように、造山運動が激しい時期があったというか、海辺ないし海の底が隆起して山になったようですが、水銀や各種の鉱石の鉱脈などが存在し、古来、山岳修行をする人達などが密かに利用していたという噂はあります。

 剣山は、秩父古生層の石灰岩で形成されているそうで、石灰岩だけに鍾乳洞など地下洞窟の噂が絶えず、そうした場所にソロモン王の秘宝が隠されているといった都市伝説めいた話があり、高値正教が昭和10年から7年ほど剣山の発掘調査をした顛末が比較的知られていますが、それなりのかなり奇妙な遺構を掘り当てています。

 まあ、徳島県は家の起源として、奈良や京の都から移住してきたとする家が意外と多い地域ですし、地形的に四国の他の3県とは山で隔てられていますから、鉄道や道路が発達するまでは、海路で鳴門海峡を渡って大阪や和歌山に横付けした方が何かと都合が良かったようですし、瀬戸内海の東の果てでもあり、海外から何かを運び込んで最後に行き着いた場所だとしてもそれほど驚きません。

 というか、記紀などを素直に読んでいると、大和朝廷の先遣隊は紀伊半島の熊野のあたりに上陸して山伝いに奈良界隈へ進軍したようですし、なぜか太平洋側から紀伊水道にかけての熊野の山中にかなり古い時代に防塁が築かれている場所があることもまた(一部では)比較的知られた話だったりします。

 まあ、いわゆる熊野古道も、単純に進行のために道が造られたというにしては起源が古く、あの辺りが山岳要塞になっていたのではないか?という気がしないでもありません ・・・ もっとも、そう考えると、山岳要塞の西の端は石鎚山あたりになりかねず、山の峰の縦走路の本来の用途とかも勘ぐることになるのですが。

 峻険な山岳地帯の山の峰を縦走する道といって連想するのは、南米のインカ道で、インカ道は日本で言えば駅伝のような連絡網が整備されていたらしいというのが定説ですから、山岳回峰修行がなぜ行われていたのか?と考えるとき、単に精神鍛錬のための苦行だけとは限らないのかもしれません。

 考えてみれば、日本海側ならば、大陸からの軍事的な侵攻というのが古代でも想定できる話で、時代がかなり下がった元寇の頃に築かれた防塁などの遺構が博多の界隈にも現存しているのは学校の歴史の授業でも教わる話で、日本海沿岸に、大陸の侵攻に対応した防塁が築かれるのは分かるのですが、なぜに、太平洋側から(当時の人口からすれば)大規模な勢力が侵攻してくる事を想定して備えていた時代があるのか?はかなりミステリーでははないかと。

 確かに、大和朝廷軍は紀伊半島の山岳経由で攻め込んだと推定されるのですが、それさえも、熊野界隈の地元勢力が地形を生かして徹底抗戦していればどうなっていたかわからない話ですし、その後も、延々と熊野の界隈の防備を固めた理由というのが今ひとつ思い浮かびません。

、 ちなみに、日本の峻険な山岳地帯を抱える地形から考えると、大兵力に攻められた場合、大兵力を展開しやすい沿岸部で戦うのではなく、山岳地帯に逃げ込んでゲリラ戦を展開して相手を漸減させていくのは理にかなった戦術で、戦後の自衛隊の時代になっても、本土決戦のような状況になると、都市部を切り捨てて山岳地帯に逃げ込んでゲリラ戦を展開するシナリオは当然のように研究されているようです ・・・ 実際、追討から逃げ延びた落人伝説が各地の山里の集落には珍しくないわけですし。

 いずれにしても、都から微妙な遠距離でありながら、昔から都の人や文化が流入していた場所だけに、何か古代の秘宝の類を隠しているという噂に信憑性があるおかもしれませんし、剣山が、その起源が定かではないくらい昔から山岳修行の道場であり、幾つかの奇妙なお祭というか風習があることは(一部では)知られています。

 ちなみに、剣山の頂には、修験道場剣山神社や竜光寺が建立されているのですが、地図だと対になっているように見える石鎚山は日本霊異記に登場し蔵王権現や熊野権現を祀っていまして、位置的に考えて逆じゃないのか?とか、米軍のスイング戦略のように、徒歩での移動くらいが前提の時代に山の縦走路を使って法網の類をスイングさせれば?とか、あれこれ考え込んでしまう配置になっています。

 ただ、剣山にソロモン王の秘宝(失われたアーク説に人気がある)が眠っているという話の根拠の一つに、なぜか御神輿を剣山に担ぎ上げる神事などがあることを指摘する人は多く、宮崎の鉾、愛媛の鎚、徳島の剣と考えるとき、う~んと考え込んでしまうのでした(笑)。

 なお、戦前からかなり珍しい遺構が発掘されている実績があり、あちこちで道路やダムを国の財政が傾くらい建設して自然を破壊しておきながら、”発掘調査は自然破壊に繋がる”という奇妙な理屈で、剣山界隈の発掘調査は一切禁じられています。

 ただ、そうなると、徳島や高知はもちろん、対岸の本州側と比べると如実ですが、四国全体がなぜに未だにあそこまで交通不便地なのか?と考えるとき、交通を便利にしたら不味い何かがあった(ある)からかも?といった具合に疑うのが邪推の始まりだったりするわけです(大笑)。

初出:一夢庵 怪しい話 第3シリーズ 第793話:(2010/05/03)





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Last updated  2010.05.08 00:50:59
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